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グリムジョー・ジャガージャック《荒々しいまま、誰かと生きる》

『BLEACH』グリムジョー・ジャガージャック

荒々しいまま、誰かと生きる

――もし、彼が永夜世界ノクティラの思想と出会ったなら

はじめに

荒々しい。

短気。

勝ち気。

自信家。

挑発的。

そして、

強い相手を見ると、

どうしても戦いたくなる。

『BLEACH』に登場するグリムジョー・ジャガージャックについて考えるとき、

彼の魅力の大きな部分は、

そうした剥き出しの野性にあると思う。

だから、

もし彼が永夜世界ノクティラの思想と出会ったとしても、

穏やかな人物へ変わる必要はない。

口が悪いままでいい。

勝負好きなままでいい。

喧嘩っ早さも、

ある程度は残っていい。

誰かに頭を下げるのが苦手でもいい。

むしろ、

それを全部取り上げてしまったら、

グリムジョーらしさまで失われてしまう。

では、

問題はどこにあるのか。

それは、

荒々しいことそのものではない。

荒々しさを発揮できる場所が、破壊や殺し合いに偏っていること

なのではないか。

ノクティラなら、

その力に、

もっと多くの出口を作ることができる。

今回は、

グリムジョーを「丸くする」のではなく、

荒々しいまま誰かと生きられる可能性

について考えていく。

1.「乱暴な性格」は直すべきなのか

グリムジョーを幸福にするために、

まず考えたいのは、

彼の荒々しさをどこまで「問題」と見るかだ。

言葉遣いが乱暴。

すぐに張り合う。

相手を挑発する。

負けず嫌い。

自分が上だと証明したがる。

こうした性格は、

確かに衝突を生みやすい。

しかし、

それ自体が悪であるとは限らない。

問題になるのは、

その衝動が

誰かの命や自由を奪う形でしか発散できないときだ。

ならば、

性格を消すのではなく、

衝突しても壊れない仕組みを作る

という考え方もできる。

ノクティラの発想は、

こちらに近い。

2.勝負したいなら、勝負すればいい

グリムジョーにとって、

競争のない世界は、

かなり退屈だと思う。

誰も張り合わない。

誰も挑んでこない。

全員が穏やか。

争いはいけません。

仲良くしましょう。

そんな環境を与えたところで、

幸福になるとは思いにくい。

なら、

勝負すればいい。

武道。

格闘技。

競技。

模擬戦。

身体能力を競う大会。

速度。

力。

反応。

技術。

持久力。

ノクティラにそういう文化があれば、

グリムジョーはかなり早く馴染むはずだ。

強い相手がいる。

なら挑む。

負ける。

なら次は勝つ。

勝った。

ならもっと強い相手を探す。

それでいい。

3.「戦える場所」があるという安心

暴力性の強い人物について考えると、

「戦わせないこと」が安全だと思われがちだ。

確かに、

無秩序な暴力は止めなければならない。

しかし、

一切の闘争まで禁止すると、

別の問題が生まれる。

戦いたい。

競いたい。

力を試したい。

その欲求そのものを、

ずっと押し殺すことになる。

グリムジョーの場合、

それはかなり苦しいはずだ。

だから、

安全なルールの中で、

本気を出せる場所が必要になる。

そこでなら、

思い切り戦っていい。

叫んでもいい。

挑発してもいい。

勝ち誇ってもいい。

負けて怒ってもいい。

ただし、

勝負が終わったら終わり。

相手の人生まで奪わない。

これだけで、

「戦いたい」という欲求と、

「誰かと生きる」ということが両立し始める。

4.強い相手がいることは、幸福になり得る

グリムジョーにとって、

自分より強い存在は、

腹立たしい相手かもしれない。

でも、

同時に非常に面白い存在でもある。

簡単に勝てない。

思い通りにならない。

だから、

何度でも挑める。

これは、

ある意味で恵まれている。

もし本当に、

誰にも負けないほど強くなってしまったら。

何もかも簡単に倒せるようになったら。

その世界には、

もう張り合う相手がいない。

グリムジョーにとって、

それは幸福とは言いにくい。

だから、

自分より強い者がいる。

同じくらい強い者がいる。

いつ追い越されるか分からない相手がいる。

それは、

退屈しない世界が続いている証拠

でもある。

5.競争相手と、仲間は両立する

ここが、

グリムジョーにとって非常に重要なところだと思う。

誰かと仲良くなる。

だから、

戦わなくなる。

そうである必要はない。

むしろ、

仲がいいからこそ、

本気で競い合える関係もある。

負けたら腹が立つ。

勝ったら煽る。

相手も言い返す。

また勝負する。

そして、

勝負が終われば、

同じ場所で飯を食う。

これでいい。

競争と友情は、

必ずしも反対ではない。

張り合うこと自体が、その二人の関係になることもある。

グリムジョーなら、

こういう関係性のほうが、

下手に優しく扱われるよりも心地いいかもしれない。

6.「仲間だから手加減する」は、むしろ失礼かもしれない

グリムジョーのような人物にとって、

手加減は、

場合によっては侮辱にもなる。

本気で戦ってほしい。

全力で来てほしい。

そのうえで勝ちたい。

だから、

「仲間だから傷つけたくない」

という理由で相手が力を抜けば、

むしろ怒るかもしれない。

ここには、

彼なりの信頼の形がある。

本気を出しても、

この関係は壊れない。

全力でぶつかっても、

勝負が終わればまた会える。

そう信じられるなら、

遠慮する必要がない。

全力をぶつけられることが、信頼になる。

これは、

かなりグリムジョーらしい人間関係の形だと思う。

7.冒険という出口

グリムジョーの荒々しさは、

戦闘だけに向けなくてもいい。

もう一つ、

非常に相性がいいものがある。

冒険。

危険な場所。

まだ知られていない地域。

険しい地形。

巨大な生物。

身体能力が必要な移動。

力ずくで突破しなければならない障害。

こうしたものがあれば、

彼はかなり楽しめるはずだ。

誰かを傷つけなくても、

危険と戦える。

自分の力を試せる。

予想外のことが起きる。

何が出てくるか分からない。

これは、

戦闘欲と好奇心を同時に満たすことができる。

8.誰かを守るために戦うこともできる

グリムジョーを、

正義感の強い英雄へ変える必要はない。

誰かを守るためだけに戦う人物へ、

作り替える必要もない。

でも、

結果として誰かを守ることはあると思う。

危険がある。

強い敵がいる。

なら、

戦いたい。

その結果、

他の者が助かる。

最初は、

それでいい。

「助けるために戦ったわけじゃねえ。」

と言うかもしれない。

実際、

本当にそうなのかもしれない。

しかし、

それでも誰かが助かった。

感謝される。

その経験を何度も重ねる。

すると、

いつか、

ほんの少しだけ理由が変わることもある。

戦いたい。

そして、

こいつらがやられるのも気に入らない。

その二つが、

同時に存在してもいい。

9.優しくならなくても、気にかけることはできる

グリムジョーは、

誰かを気遣うとしても、

分かりやすく優しい言葉をかけるタイプではないと思う。

疲れている相手へ、

「大丈夫か」

とは言わないかもしれない。

代わりに、

「遅ぇぞ。」

と怒る。

怪我をした者へ、

心配そうな顔は見せない。

でも、

歩く速度を少し落とす。

飯を食べていない者へ、

「ちゃんと食べろ」

とは言わない。

余ったものを、

雑に投げる。

そういう形でもいい。

愛情や仲間意識には、

一つの正しい表現方法があるわけではない。

乱暴なまま気にかけることもできる。

10.「誰かといる」ことに慣れていく

最初から共同生活を好むかどうかは、

別として。

ノクティラで長く生きるうち、

グリムジョーには、

いつの間にか周囲に人がいるようになるかもしれない。

勝負相手。

訓練仲間。

冒険へ行く者。

飯を食う相手。

くだらないことで言い合う相手。

自分を煽ってくる相手。

それが、

日常になる。

そして、

ある日一人でいると、

何となくつまらない。

静かすぎる。

誰かを呼ぶ。

そこで、

初めて気づく。

自分は、誰かがいる生活を嫌っていなかった。

11.仲間を「所有」しなくていい

荒々しい者同士の関係は、

時に上下関係へ寄りやすい。

強い者が上。

弱い者が下。

自分について来る者は、

自分のもの。

しかし、

ノクティラでは、

その関係を少し変えられる。

仲間は、

所有物ではない。

自分と一緒にいることを、

自分で選んでいる者たちだ。

だから、

命令しなくても残る。

離れたいなら離れる。

また会いたければ戻ってくる。

この自由があるからこそ、

「一緒にいる」という事実に意味が生まれる。

グリムジョーにとって、

これは意外に大きいと思う。

力で従わせたのではなく、それでも隣にいる。

その関係は、

支配とは違う。

12.負けても、関係は壊れない

競争を人間関係の中心に置くと、

一つの不安がある。

負けたら、

価値がなくなるのではないか。

弱くなったら、

仲間ではなくなるのではないか。

でも、

ノクティラで作る関係は、

そこまで単純ではない。

勝った。

負けた。

次は逆転した。

また負けた。

それでも、

翌日には普通に会う。

関係は続く。

強さの順位が変わっても、

一緒にいる理由は消えない。

ここでグリムジョーは、

勝敗と関係性は別なのだ

と知ることができる。

これは、

かなり大きな安心になる。

13.勝ち負けの外側にも、面白いものがある

最初は、

何でも勝負にしたがるかもしれない。

誰が速い。

誰が強い。

誰が多く食える。

誰が先に着く。

誰が一番うまい。

それでも、

日常を続けていると、

勝敗のつかないものも増える。

景色を見る。

祭りへ行く。

市場を歩く。

知らない食べ物を食べる。

海を見る。

酒場で騒ぐ。

冒険から帰ってくる。

そこには、

勝者も敗者もいない。

でも、

面白い。

すると、

「楽しい」という感覚の中に、

競争以外のものも少しずつ混ざっていく。

強さを捨てるのではなく、

楽しさの種類が増える。

14.「荒々しい」は、「孤独」と同義ではない

ここまで考えると、

グリムジョーについて見えてくることがある。

荒々しい。

だから、

誰かと暮らせない。

そう決めつける必要はない。

口が悪くても。

喧嘩好きでも。

負けず嫌いでも。

自己主張が強くても。

それを理解したうえで付き合える者たちはいる。

重要なのは、

皆と同じ性格になることではない。

違う性格のまま、共存できる関係を作ること。

ノクティラの幸福は、

均質化ではない。

グリムジョーは、

グリムジョーのままで、

共同体の一員になれる。

15.怒りも、全部捨てなくていい

グリムジョーの怒りまで、

消す必要はない。

腹が立つ。

なら、

腹を立てればいい。

不満がある。

なら、

言えばいい。

問題なのは、

怒ることそのものではない。

怒りを感じた瞬間に、

相手の命や自由まで奪っていいと考えることだ。

そこに境界があればいい。

怒鳴る。

言い合う。

その場を離れる。

勝負で決める。

しばらく顔を合わせない。

そして、

また戻る。

感情を消すのではなく、

感情を持ったまま関係を終わらせない方法

を知る。

16.「丸くなる」のではない

長くノクティラで暮らしたグリムジョーを見て、

周囲はこう言うかもしれない。

昔より丸くなった。

でも、

本人はかなり嫌がると思う。

そして実際、

「丸くなった」という表現は少し違う。

勝負好き。

変わっていない。

挑発する。

変わっていない。

怒る。

変わっていない。

強い相手を見れば戦いたがる。

変わっていない。

変わったのは、

それらを持ったままでも、誰かとの生活が成立するようになったこと。

荒々しさを削ったのではない。

荒々しさを受け止められる世界が広がった。

17.「誰かと生きる」は、静かに暮らすことではない

誰かと生きる。

そう聞くと、

穏やかな共同生活を想像しやすい。

しかし、

グリムジョーの場合、

もっと騒がしくていい。

言い合い。

勝負。

張り合い。

くだらない競争。

大声。

笑い。

怒鳴り声。

翌日の再戦。

そういう日常でも、

立派な共同生活だ。

平穏とは、音がないことではない。

何度ぶつかっても、

その関係が破壊されないこと。

帰る場所がなくならないこと。

また明日、

普通に会えること。

それも、

一つの平穏である。

18.グリムジョーにとっての幸福

グリムジョーについて、

「死の形」から対応する一語を作るというより、

元資料で見えていた幸福は、

非常に生活的なものだった。

荒々しくても、誰かと生きられる。

これが、

彼にとってかなり重要なのだと思う。

強さを捨てない。

競争も捨てない。

怒りも捨てない。

野性も捨てない。

そのうえで、

仲間がいる。

勝負相手がいる。

一緒に飯を食う者がいる。

冒険へ行く相手がいる。

帰れば、

また会う者がいる。

つまり、

必要だったのは、

性格を変えることではない。

その性格のまま生きられる場所を増やすこと。

おわりに

荒々しいままでいい

グリムジョー・ジャガージャックを幸福にするために、

穏やかな男へ変える必要はない。

喧嘩を嫌いにする必要もない。

勝ちたいという気持ちを消す必要もない。

口が悪くてもいい。

怒りっぽくてもいい。

強い相手へ挑み続けてもいい。

ただ、

その力の向かう先を、

破壊だけにしなくていい。

競争。

武道。

冒険。

修練。

仲間との張り合い。

本気の勝負。

そして、

勝負が終わった後に続く日常。

それらがある。

全力で戦った相手と、

その後で飯を食う。

負けて腹を立てながら、

次の約束をする。

誰かを雑に気遣う。

一人では退屈になって、

結局また仲間のところへ戻る。

そんな生き方があっていい。

荒々しさと、孤独は同じではない。

強さと、共同生活も矛盾しない。

グリムジョーが変わるのではなく、

彼が生きられる世界のほうが広くなる。

それが、

永夜世界ノクティラから考えた、

グリムジョー・ジャガージャックの

一つの幸福の形である。

あなたが、生きてきたことを否定しない世界。

永夜世界ノクティラ。

本記事について

本記事は『BLEACH』に登場するグリムジョー・ジャガージャックの人物像・価値観・作中で描かれたモチーフを題材として、Lewd Beast Tribe/永夜世界ノクティラの文化・倫理・思想を考察する非公式の比較研究・思考実験です。

本記事で記述している「ノクティラであればどうなるか」という内容は、すべてLewd Beast Tribe側から行った独自の仮定であり、『BLEACH』の公式設定・続編・公式解釈を示すものではありません。

『BLEACH』および同作に登場するキャラクター・設定等の権利は、それぞれの原作者・出版社・制作会社その他の権利者に帰属します。

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