『BLEACH』アーロニーロ・アルルエリ
《強欲》から「自分を探すこと」へ
――もし、彼が永夜世界ノクティラの思想と出会ったなら
はじめに
もっと欲しい。
もっと取り込みたい。
もっと多く。
もっと強く。
もっと完全に。
『BLEACH』に登場するアーロニーロ・アルルエリを考えるとき、
その存在には、
「取り込むこと」
という性質が深く結びついている。
他者を取り込む。
その能力を得る。
その記憶を利用する。
自分の中へ、
別の存在を重ねていく。
それは、
力を増やす方法でもある。
しかし、
もし取り込み続けた結果、
自分の中に
あまりにも多くの「誰か」が存在するようになったら。
そこで、
一つの疑問が生まれる。
では、その中のどれが自分なのか。
永夜世界ノクティラで考えるアーロニーロの幸福は、
単純に強欲を捨てることではない。
過去を忘れて、
善良な人物へ生まれ変わることでもない。
むしろ、
それまで自分の中へ増やし続けてきたものと、
一度向き合うことから始まる。
そして最後に、
こう気づく。
自分を探そうとしている、この自分こそが自分だった。
今回は、
多くを取り込みすぎた存在が、
「もっと欲しい」という方向から、
「自分は何者なのかを知りたい」
という願いへ進んでいく可能性について考えてみたい。
1.「取り込むこと」は、自分を増やすことなのか
何かを手に入れる。
知識。
能力。
経験。
記憶。
それによって、
できることは増える。
なら、
多く持っているほど、
豊かな存在になる。
そう考えることもできる。
しかし、
アーロニーロの場合、
問題はもっと複雑だ。
取り込んだものが、
単なる道具ではない。
そこには、
他者の痕跡がある。
記憶がある。
個性がある。
生きていた者の情報がある。
それが、
自分の内部へ積み重なっていく。
すると、
持っているものは増える。
だが、
逆に
「自分だけのもの」が分かりにくくなる。
2.たくさん持っているのに、自分が分からない
これは、
少し奇妙な状態だ。
たくさん知っている。
たくさん持っている。
多くの能力がある。
多くの記憶がある。
それなのに、
「自分は何者なのか」
と聞かれたとき、
答えにくい。
何を好きなのか。
何を嫌うのか。
何を望んでいるのか。
その感情は、
本当に自分のものなのか。
それとも、
取り込んだ誰かの影響なのか。
ここで、
強欲には別の側面が見えてくる。
増やし続けた結果、自分自身の輪郭が見えなくなること。
3.ノクティラでは、まず「自分」を求めることになる
ノクティラへ来たアーロニーロが、
すぐに幸福になるとは思えない。
むしろ、
最初はかなり苦しいはずだ。
戦いが終わった。
取り込む必要もない。
生存競争に追われることもない。
すると、
今まで見ないで済んでいたものが出てくる。
自分は、
何をした。
誰を取り込んだ。
誰の記憶を使った。
誰を傷つけた。
そして、
自分自身は何だったのか。
外から敵が来ないからこそ、
今度は内側を見ることになる。
4.海燕という存在
アーロニーロについて考えるとき、
海燕の存在は避けることができない。
海燕そのものではない。
しかし、
その姿や記憶を利用できる。
そこには、
非常に重い問題がある。
一人の人間が生きた痕跡を、
力として使う。
さらに、
それを別の誰かへ向ける。
ノクティラで長く生活し、
他者の心を以前より重く受け止めるようになれば、
アーロニーロ自身も、
その意味を考えざるを得なくなると思う。
自分が利用したものは、誰かにとって大切な人間の記憶だった。
その理解は、
かなり痛い。
5.ルキアにしたこと
そして、
その記憶を使って、
ルキアへ何をしたのか。
ここも、
過去として残る。
ノクティラへ来たからといって、
なかったことにはならない。
幸福になったから、
帳消しになるわけでもない。
大切なのは、
この世界の「否定しない」という考え方が、
「何をしても許される」
という意味ではないことだ。
存在を否定しない。
しかし、
行為まで肯定するわけではない。
アーロニーロ自身が、
そこを理解する必要がある。
6.後悔することは、救いの失敗ではない
幸福な世界へ来たのだから、
苦しまないほうがいい。
そう考えることもできる。
でも、
私はそうは思わない。
アーロニーロが、
自分の過去を理解する過程で、
強い後悔を感じるなら、
それは必ずしも悪いことではない。
むしろ、
他者の痛みを
「情報」ではなく、
自分の心で受け止め始めた証拠でもある。
苦しい。
戻せない。
消せない。
それでも、
感じる。
後悔できるということもまた、その人の心が今ここにある証拠になり得る。
7.でも、後悔だけで生き続ける必要もない
ただし、
ここで別の極端へ行ってはいけない。
悪いことをした。
だから、
一生苦しまなければならない。
幸せになってはいけない。
自分には何も望む資格がない。
そうなれば、
人生は過去の一点で止まってしまう。
ノクティラで考える救いは、
過去を消すことではない。
過去の後にも時間が続くこと。
したことを忘れない。
でも、
それだけを自分のすべてにしない。
この両方が必要になる。
8.「私は誰だ」
アーロニーロが、
自分の過去と向き合った後、
次に出てくるのは、
より根本的な問いだと思う。
自分は、
何者なのか。
取り込んだ者たちの記憶を持つ。
能力を持つ。
影響を持つ。
でも、
それらを全部外したら、
何が残る。
もしかすると、
最初は、
何も残らないように感じるかもしれない。
自分には、
借り物しかない。
そんな恐怖が出てくる可能性もある。
9.記憶を持っていることと、その人になることは違う
ここで、
一つ整理できることがある。
誰かの記憶を持っている。
だからといって、
その人そのものになるわけではない。
誰かの感情を知っている。
だからといって、
同じ人生を生きたことにはならない。
それをどう受け取るか。
どう考えるか。
どう使うか。
そこには、
今ここにいるアーロニーロ自身の選択
がある。
同じ情報を持っていても、
選び方は変わる。
その選択の積み重ねこそ、
自分の輪郭になっていく。
10.「自分を探している者」がいる
そして、
元資料でアーロニーロについて考えたとき、
非常に大切な答えが生まれた。
自分はどれなのか。
本当の自分はどこにいるのか。
誰の記憶でもない、
純粋な自分はあるのか。
考える。
探す。
悩む。
そこで、
ある時気づく。
「自分を探そうとしている、この自分こそが自分だった。」
これは、
かなり重要な発見だと思う。
11.「純粋な自分」を発掘しなくてもいい
人は、
何の影響も受けずには生きられない。
誰かに出会う。
言葉を聞く。
文化を知る。
傷つく。
喜ぶ。
その全部が、
少しずつ自分を変える。
なら、
「何にも影響されていない純粋な自分」
を探す必要はないのかもしれない。
アーロニーロは、
極端な形で、
他者の痕跡を抱えている。
それでも、
今そのすべてを抱えながら、
「これからどうするか」
を考えている存在がいる。
それが現在の自分である。
12.過去の自分も、自分ではある
では、
過去に行ったことは、
「昔の自分だから関係ない」
として切り離せるのか。
それも違うと思う。
過去の自分も、
自分。
今の自分も、
自分。
変わったからといって、
以前の責任がなくなるわけではない。
しかし、
以前そうだったからといって、
未来も同じでなければならないわけでもない。
責任を持つことと、変わることは両立する。
13.謝りに行くという選択
元資料では、
アーロニーロが最初にルキアへ謝りに行く可能性について考えていた。
これは、
かなり重要な場面だと思う。
ただし、
目的は
「赦してもらうこと」
ではない。
自分が楽になるために、
相手から
「もういい」
と言ってもらうことでもない。
謝る。
その後、
どう受け取るかは相手が決める。
ここに、
過去との向き合い方がある。
14.赦しを要求しない
謝罪は、
時に相手へ負担をかける。
謝ったのだから、
許してほしい。
反省しているのだから、
もう責めないでほしい。
そう言ってしまえば、
今度は
「赦す責任」
を相手へ押しつけることになる。
それでは、
償いが再び侵害になる。
だから、
アーロニーロが本当に変わるなら、
そこを理解する必要がある。
自分には謝ることはできる。
でも、赦すかどうかは自分には決められない。
15.「赦されない可能性」を受け入れる
相手は、
赦さないかもしれない。
会いたくないかもしれない。
言葉すら聞きたくないかもしれない。
それでも、
相手の選択を尊重する。
これは、
苦しい。
でも、
必要なことでもある。
自分が変わったという事実は、
相手にそれを評価する義務を作らない。
自分の成長は、自分の責任で続けるもの。
他者から赦しを受け取らなければ続けられないものではない。
16.償いとは、「苦しみ続けること」だけではない
償うというと、
罰を受け続けることを想像しやすい。
しかし、
それだけではないと思う。
同じことを繰り返さない。
誰かの心を、
以前より大切に扱う。
自分の力を、
別の形で使う。
傷つけた過去を知っているからこそ、
今度は傷つけない選択をする。
そうした日々も、
償いの一部になり得る。
過去を抱えたまま、未来で違う選択を積み重ねる。
17.取り込んだ記憶を、もう「武器」にしない
アーロニーロに残るものを、
完全に消す必要はない。
過去に取り込んだ記憶や経験が残るなら、
それを全部捨てなければならないとも限らない。
重要なのは、
使い方だ。
誰かの弱点を突くため。
騙すため。
傷つけるため。
そうではなく、
そこから理解できるものもある。
誰かが何を大切にしていたのか。
何を怖がったのか。
何を愛していたのか。
もしそれを理解できるなら、
記憶は、
武器だけではなく、
他者を理解する入口
にもなり得る。
18.多くの苦しみを知っているからこそ
元資料では、
アーロニーロは
「あらゆる苦しみを知っているからこそ、他者を愛する方向へ」
進む可能性があると考えていた。
ここは、
かなり大切だと思う。
誰かの苦しみを知っている。
だから、
利用する。
その段階から、
誰かの苦しみを知っている。
だから、
傷つけたくない。
へ変わる。
知識そのものは同じでも、
そこから選ぶ行動が変わる。
これもまた、
アーロニーロ自身の心の証明になる。
19.「持っていること」から「感じること」へ
強欲とは、
持つことへ向かう欲望でもある。
もっと。
さらに。
足りない。
だから取り込む。
でも、
ノクティラで生活を続けると、
別の豊かさを知ることができる。
食事を楽しむ。
誰かと話す。
景色を見る。
自分の好きなものを見つける。
何かを選ぶ。
誰かに会いたいと思う。
そういうものは、
取り込まなくても得られる。
所有しなくても、経験は自分のものになる。
20.「欲しい」という心まで捨てなくていい
ここで、
アーロニーロから欲望そのものを消す必要はない。
欲しいものがある。
もっと知りたい。
もっと経験したい。
もっと生きたい。
それでいい。
むしろ、
その「もっと」が、
初めて前向きな方向へ動き始める。
以前は、
もっと取り込む。
もっと奪う。
だった。
今度は、
もっと自分を知りたい。
もっと世界を見たい。
もっと生きてみたい。
になる。
21.《強欲》の意味が変わる
強欲という言葉を、
完全に捨てなくてもいいと思う。
なぜなら、
「もっと欲しい」という力そのものは、
非常に強い生きる力にもなるからだ。
もっと明日が欲しい。
もっと経験が欲しい。
もっと好きなものを増やしたい。
もっと自分を知りたい。
それなら、
欲望は、
破壊ではなく、
生への欲求
になる。
22.自分で選んだものが、自分になる
何が自分なのか。
この問いに、
最終的な完全回答はないかもしれない。
でも、
日々選ぶことはできる。
今日は何をする。
誰と話す。
何を食べる。
何を学ぶ。
何を好きになる。
誰を大切にする。
何をしないと決める。
その一つ一つは、
取り込んだ誰かから自動的に与えられるものではない。
今の自分が選んだものだ。
その選択が、
新しいアーロニーロを作っていく。
23.「自分」は、一度見つけて終わるものではない
ここで、
さらに一歩進めて考えたい。
自分を見つけた。
それで完成。
そうではないと思う。
今日の自分と、
十年後の自分は違う。
好きなものも増える。
考えも変わる。
後悔の意味も変わる。
だから、
「自分探し」は、
答えを一つ見つけて終わることではない。
生きながら、自分を作り続けること。
アーロニーロにとっては、
これが重要になる。
24.過去を消さないからこそ、「続き」に意味がある
ノクティラの救いを考えるうえで、
ここは非常に重要だ。
過去を全部消したら、
楽かもしれない。
記憶をなくす。
罪をなくす。
最初からなかったことにする。
でも、
それでは
「その後をどう生きたか」
という意味も薄くなる。
アーロニーロの場合、
過去は残る。
海燕のことも。
ルキアにしたことも。
自分が奪ったものも。
そのうえで、
続きを作る。
過去が残っているからこそ、未来で違う選択をしたことに意味が生まれる。
25.「赦されなくても、生きていい」
これは、
かなり難しいテーマだと思う。
過去に大きなことをした者が、
幸福になっていいのか。
その問いは残る。
しかし、
ノクティラの考え方では、
幸福は、
無罪判決ではない。
誰かに許された証明でもない。
自分が過去を消した証明でもない。
責任を抱えたまま、それでも未来を選ぶこと。
それは可能だと思う。
赦されなくても、
生きる。
忘れられなくても、
生きる。
そして、
同じことをしない。
26.《強欲》から「自分を探し、もっと生きたい」へ
アーロニーロの幸福を整理するなら、
単に
《強欲》→《無欲》
ではない。
むしろ、
欲望は残る。
方向が変わる。
**《強欲》
→
《自分を探し、もっと生きたいという願い》**
もっと取り込みたい。
ではなく、
もっと自分を知りたい。
もっと奪いたい。
ではなく、
もっと経験したい。
他者を自分の中へ入れることで、
自分を大きくするのではなく、
自分自身の人生を増やしていく。
27.「私は誰だ」に、毎日答えていく
では、
アーロニーロは最終的に、
自分とは何者なのかを説明できるようになるのだろうか。
もしかすると、
完璧な答えは出ない。
でも、
それでいい。
今日、
自分で選んだ。
今日は、
誰かを傷つけなかった。
今日は、
好きなものを見つけた。
今日は、
誰かと話した。
今日は、
過去を思い出して苦しくなった。
それでも、
今日を生きた。
その全部が、
「自分とは何か」への答えになる。
おわりに
自分を探している、その者がもう「自分」だった
アーロニーロ・アルルエリを幸福にするために、
過去を消す必要はない。
海燕の記憶を利用したことも、
ルキアにしたことも、
なかったことにはならない。
後悔する。
謝る。
しかし、
赦しは要求しない。
相手が赦さないなら、
それも受け入れる。
そのうえで、
生きる。
そして、
自分を探す。
どの記憶が自分なのか。
どの感情が自分なのか。
何が本物なのか。
考え続ける。
でも、
ある時気づく。
自分を探そうとしている。
後悔している。
これからどう生きるかを考えている。
その心は、
誰かから借りた答えではない。
今ここにいる者が、
自分自身で動かしている心だ。
なら、
もうそこに、
一つの答えはある。
「自分を探そうとしている、この自分こそが自分だった。」
過去を抱えていてもいい。
多くの誰かの痕跡を持っていてもいい。
完全に整理できなくてもいい。
そのうえで、
新しいものを選んでいけばいい。
もっと知りたい。
もっと感じたい。
もっと自分を作りたい。
そして、
もっと生きたい。
《強欲》を消すのではない。
その「もっと」を、
奪うことから、
生きることへ向け直す。
《強欲》から、「自分を探し、もっと生きたいという願い」へ。
それが、
永夜世界ノクティラから考えた、
アーロニーロ・アルルエリの
一つの幸福の形である。
あなたが、生きてきたことを否定しない世界。
永夜世界ノクティラ。
本記事について
本記事は『BLEACH』に登場するアーロニーロ・アルルエリの人物像・価値観・作中で描かれたモチーフを題材として、Lewd Beast Tribe/永夜世界ノクティラの文化・倫理・思想を考察する非公式の比較研究・思考実験です。
本記事で記述している「ノクティラであればどうなるか」という内容は、すべてLewd Beast Tribe側から行った独自の仮定であり、『BLEACH』の公式設定・続編・公式解釈を示すものではありません。
『BLEACH』および同作に登場するキャラクター・設定等の権利は、それぞれの原作者・出版社・制作会社その他の権利者に帰属します。
Lewd Beast Tribeおよび本サイトは、『BLEACH』ならびに各権利者とは関係ありません。
LEWD BEAST TRIBE