LEWD BEAST TRIBE

SERIAL RECORD

ユーハバッハ《未来をすべて知る男が「また明日」を知るまで》

『BLEACH』ユーハバッハ

未来をすべて知る男が「また明日」を知るまで

――もし、彼が永夜世界ノクティラの思想と出会ったなら

はじめに

死が怖い。

別れが怖い。

終わりが怖い。

なら、

死そのものをなくしてしまえばいい。

未来が不安だ。

何が起こるか分からない。

なら、

未来をすべて知ればいい。

そして、

望む未来だけを選べばいい。

それは、

一見すると、

究極の救済のようにも見える。

『BLEACH』に登場するユーハバッハについて考えるとき、

重要になるものの一つが、

死と未来に対する徹底した介入

だと思う。

死がある。

だから、

人は恐れる。

未来が分からない。

だから、

人は不安になる。

なら、

その根本原因そのものをなくす。

非常に巨大な発想だ。

しかし、

そこで一つ問いが生まれる。

人を苦しみから救うことと、その人の人生を代わりに決めることは、同じなのだろうか。

永夜世界ノクティラでも、

苦しんでいる者を助ける。

怖がっている者へ手を伸ばす。

悲しんでいる者を、

一人にしない。

しかし、

だからといって、

その人の人生を代わりに決めるわけではない。

死をなくさなくても、

死に支配されない生き方はできる。

未来を知らなくても、

明日を楽しみにすることはできる。

もしユーハバッハが、

そんな世界と長い時間をかけて向き合ったなら。

すべての未来を支配する王は、

最後に、

こんな言葉を言えるようになるかもしれない。

「では、また明日。」

今回は、

未来をすべて知ろうとした者が、

未来を知らないまま待つ幸福へ辿り着く可能性について考えてみたい。

1.死への恐怖そのものは、間違いなのか

まず、

ユーハバッハを考えるとき、

死を恐れることそのものまで否定する必要はない。

死は怖い。

大切な誰かがいなくなることは、

悲しい。

自分が消えることも、

怖い。

それは、

非常に自然な感情でもある。

だから、

「死を恐れるな」

と命じることが救いになるとは限らない。

ノクティラでも、

死を美しいものとして無条件に礼賛する必要はない。

悲しむ。

泣く。

寂しがる。

怖がる。

それでいい。

重要なのは、

恐怖が存在することと、その恐怖に人生すべてを支配されることは別

だということだ。

2.「怖いものを消せば、怖くなくなる」

ユーハバッハの発想を極端に単純化すると、

こう考えることもできる。

死が怖い。

なら、

死をなくす。

別れが怖い。

なら、

別れそのものが起きない世界にする。

未来が怖い。

なら、

未来を全部知る。

原因をなくせば、

苦しみもなくなる。

非常に合理的だ。

でも、

そこで別の問いが出る。

苦しみの原因をなくすことだけが、救いなのか。

3.ノクティラでは、死は「世界の失敗」ではない

ノクティラにも、

終わりはある。

別れもある。

変化もある。

それを、

世界の欠陥として扱わない。

死ぬから、

生は失敗。

終わるから、

幸福ではない。

そうは考えない。

むしろ、

終わることも含めて、

一つの生命の時間として見る。

これは、

ユーハバッハにとって、

かなり違う世界観になる。

4.死をなくさなくても、死に支配されない

死はある。

でも、

今日を生きる。

明日を考える。

大切な者と過ごす。

何かを楽しみにする。

これは成立する。

つまり、

死を世界から消さなくても、死への恐怖が人生の中心にならない生き方はできる。

ユーハバッハが最初に知る別解は、

ここなのだと思う。

5.恐怖をなくすことと、恐怖を抱えながら生きること

怖くない。

それは、

幸福かもしれない。

でも、

怖いまま進める。

それも、

一つの強さだ。

失う可能性がある。

それでも愛する。

終わる可能性がある。

それでも始める。

失敗するかもしれない。

それでも挑む。

ノクティラでは、

恐怖が存在しても、

人生を選ぶことができる。

6.「救う」とは何か

ここから、

ユーハバッハにとって、

本当の課題へ入る。

誰かが苦しんでいる。

助けたい。

これは、

悪いことではない。

むしろ、

そこには強い慈悲や責任感が含まれることもある。

でも、

救いたいと思ったとき、

一つ境界がある。

相手が何を望んでいるのか。

7.「望む必要はない」は、本当に救いなのか

もし、

自分には未来が見える。

相手より多くを知っている。

なら、

「こちらのほうが正しい」

と思いやすい。

相手は、

分かっていない。

だから、

自分が決める。

そのほうが、

相手のためになる。

しかし、

ここで問題になるのは、

正しさだけではない。

その人生は、誰のものなのか。

8.正しい未来を知っていても

仮に、

ある道を選べば失敗すると分かっている。

なら、

止めたくなる。

当然だと思う。

でも、

本人が

「それでも行きたい」

と言ったら。

どうする。

未来を知る者が、

その人の選択を奪っていいのか。

ノクティラがユーハバッハへ突きつけるのは、

この問いだと思う。

9.「失敗しない人生」と「自分で選んだ人生」

失敗しない。

傷つかない。

危険もない。

それは、

幸福に見える。

でも、

すべて他者が決めた人生なら。

本人は、

本当にそれを生きたと言えるのか。

人生の価値は、

結果だけではない。

自分で選んだことそのもの

にもある。

10.未来を見る力は、命令する権利ではない

ユーハバッハには、

未来を見る力がある。

しかし、

未来が見えることと、

その未来を他者へ強制していいことは、

別だ。

知っている。

だから、

教える。

危険を伝える。

助言する。

それはできる。

でも、

最後に選ぶのは、

本人。

この境界を理解することが、

彼にとって非常に大きい。

11.「それでも行きたい」と言われたら

失敗する。

傷つく。

うまくいかない。

その未来が見えている。

それでも、

本人が行きたいと言う。

以前なら、

止めたかもしれない。

未来そのものを変えたかもしれない。

でも、

ノクティラで長く生きたユーハバッハなら、

別の答えを持てる。

「そうか。ならば行け。」

そして、

帰ってきたら、

責めない。

12.「何を失った?」ではなく、「何を得た?」

失敗した者が帰ってくる。

そこで、

「だから言っただろう」

と言うのは簡単だ。

でも、

その失敗によって、

本人が何を知ったか。

何を感じたか。

何を持ち帰ったか。

そこを見る。

元資料でも、

未来を知りながら他者の選択を奪わないユーハバッハは、

帰ってきた相手へ、

「何を得た?」

と問える王として考えられていた。

13.失敗する権利

これは、

かなり重要だと思う。

人には、

成功する自由だけではない。

失敗する自由もある。

もちろん、

危険を知らせる。

助ける。

支える。

でも、

本人が選ぶなら、

その選択を尊重する。

失敗を完全に排除することが、必ずしも幸福ではない。

14.未来を守ることと、未来を奪うこと

誰かの未来を守りたい。

その思いは、

優しさになり得る。

しかし、

守ろうとするあまり、

その人自身が未来を選べなくなったら。

それは、

守ることから、

奪うことへ変わる。

この境界を知ることが、

ユーハバッハにとっての大きな変化になる。

15.配下を「一つの心」として見る

元資料では、

ノクティラで長く暮らしたユーハバッハは、

配下たちを、

単なる

「我が子」

「配下」

「駒」

としてではなく、

一人ひとり、一つの心を持つ存在

として見るようになる可能性があると考えられていた。

これは、

王としてかなり大きな変化だ。

16.「お前は何を望む?」

王が聞く。

何を望む。

相手が答える。

「陛下の御心のままに。」

以前なら、

それで終わるかもしれない。

だが、

今度は違う。

それは、

王の望みである。

聞きたいのは、

本人の望みだ。

「私は、お前の望みを聞いている。」

この問いを持てることが、

ユーハバッハにとって重要になる。

17.忠誠の中に、自分の人生を戻す

誰かへ忠誠を誓う。

そのこと自体は、

否定する必要がない。

でも、

忠誠を持っているからといって、

自分の望みがなくなる必要はない。

王に仕える。

でも、

行きたい場所もある。

見たいものもある。

好きなものもある。

やりたいこともある。

それでいい。

18.「許可を求める必要があるのか?」

もしハッシュヴァルトが、

宵深華へ行きたいと言ったら。

以前なら、

許可を求める関係になるかもしれない。

でも、

長く学んだユーハバッハなら、

別の答えができる。

お前の生なのだから、見てくればいい。

王は、

配下の人生の所有者ではない。

元資料でも、

この方向が明確に示されている。

19.「王」であることまで捨てなくていい

ここで、

ユーハバッハを幸福にするために、

王であることを否定する必要はない。

「陛下」と呼ばれてもいい。

威厳があってもいい。

カリスマも、

消さなくていい。

元資料でも、

そこは明確だった。

王であることと、他者の人生を所有することは別。

20.王だからこそ、選択を返せる

力がある。

王である。

命令できる。

だからこそ、

命令しないことにも意味がある。

選択肢を与える。

本人へ返す。

「どうしたい。」

と聞く。

それは、

弱い王ではない。

むしろ、

他者の自由を恐れない王

だと思う。

21.「私について来い」から「お前はどこへ行きたい?」へ

元資料には、

ユーハバッハの変化を非常に分かりやすく示す対比がある。

昔は、

「私について来い。」

今は、

「お前はどこへ行きたい?」

王であることは、

変わっていない。

変わったのは、

人の人生を見る方向だ。

22.未来を見ても、奪わない

未来が見える。

それは、

非常に大きな力だ。

でも、

未来が見えるからこそ、

より慎重にもなれる。

本人が選んだ道の先を知っている。

それでも、

選択を返す。

この姿勢は、

「未来を見る力」に対する、

新しい使い方でもある。

23.悪い未来を「消す」のではなく、備える

未来に、

苦しい出来事がある。

なら、

全部消すのではなく、

備えることもできる。

危険を伝える。

支える者を用意する。

戻れる場所を作る。

失敗したとき、

孤立しないようにする。

つまり、

未来へ介入する方法は、

支配だけではない。

選択できる環境を整えることも、未来を守る方法になる。

24.「救う」と「支える」の違い

救う。

という言葉には、

とても大きな力がある。

でも、

時に、

救う側が中心になる。

私が救った。

私が正した。

私が正しい場所へ連れていった。

一方、

支えるという考え方では、

中心にいるのは本人だ。

本人が歩く。

こちらは、

必要なときに手を貸す。

ユーハバッハの救済観が変わるなら、

ここも大きい。

25.自分がいなくても生きられる者を育てる

王として、

全員を自分へ依存させる。

それは、

支配としては強い。

でも、

共同体としては脆い。

本当に他者を大切にするなら、

自分がいなくても、

それぞれが生きられるほうがいい。

自分で決める。

自分で進む。

必要なら、

助けを求める。

王が全員の未来を背負わなくてもいい。

26.「全員を救わなければならない」という重荷

ここは、

ユーハバッハ自身にとっての救いにもなると思う。

全ての者を、

死への恐怖から解放する。

世界そのものを変える。

これは、

途方もない責任だ。

もし、

自分がやらなければならないと思えば、

王自身も、

永遠に休めない。

でも、

人は、

自分でも生きられる。

他者とも支え合える。

なら、

世界の幸福すべてを、自分一人が完成させなくてもいい。

27.未来を全部知ることは、本当に安らぎなのか

未来が分かる。

失敗も分かる。

別れも分かる。

幸福も分かる。

一見、

安心できそうだ。

でも、

すべて知っている未来には、

「楽しみ」があるのだろうか。

驚き。

期待。

偶然。

新しい発見。

そうしたものは、

未知から生まれる。

28.知らない明日は、恐怖だけではない

未来が分からない。

以前なら、

不安。

危険。

恐怖。

でも、

別の意味もある。

楽しみ。

明日は、

何があるのだろう。

誰と会うだろう。

何を見るだろう。

何を好きになるだろう。

未来が見えないからこそ、

待つことができる。

29.「未知」が希望になる

これは、

ユーハバッハにとって、

かなり大きな反転だと思う。

分からない。

だから、

恐ろしい。

から、

分からない。

だから、

楽しみ。

へ。

未来を支配する必要がなくなる。

未来そのものを、

迎えることができる。

30.未来は「修正する対象」だけではない

未来を見る。

悪いなら変える。

良いなら残す。

それだけでは、

未来は、

ずっと操作対象になる。

でも、

未来には、

生きる側面もある。

今日から明日へ進む。

そこで起きることを、

受け取る。

すべてを修正しなくてもいい。

未来と付き合うことができる。

31.誰かの選択で、自分の知らない未来が生まれる

他者へ自由を返すと、

未来は、

さらに予測しにくくなる。

相手が、

自分の想像とは違うことをする。

思いがけないものを持ち帰る。

新しい道を作る。

王が全部決めていたら、

生まれなかったものが生まれる。

そのとき、

ユーハバッハは、

初めて、

他者の自由が世界を豊かにすること

を知るかもしれない。

32.自分が決めないからこそ、見られるもの

自分が全部決めれば、

世界は、

自分の想定の中に収まる。

でも、

決めなければ。

他者が、

予想外のことをする。

新しい文化を作る。

知らない関係を結ぶ。

自分が選ばなかった道を歩く。

それを見る。

この楽しみは、

支配している限り、

得にくい。

33.「王」は、世界の作者でなくていい

王だからといって、

全員の物語を書く必要はない。

王は、

世界の作者ではない。

一人ひとりが、

自分の人生を持つ。

王自身にも、

自分の人生がある。

この区別ができれば、

ユーハバッハも、

すべての未来を自分一人で完成させる必要から自由になれる。

34.死を受け入れることは、死を望むことではない

ここも、

大切だと思う。

死を世界の一部として認めることと、

死を望むことは違う。

長く生きたい。

生きてほしい。

それでいい。

治療もする。

危険から守る。

助ける。

でも、

それでもいつか来る終わりを、

「世界が間違った証拠」

として扱わない。

35.別れがあるから、今を大切にする――だけではない

死について、

「終わるから今が尊い」

とだけ言ってしまうと、

少し単純すぎる。

今が大切なのは、

死ぬからだけではない。

生きている今そのものに、

価値がある。

だから、

ユーハバッハが学ぶのは、

死を肯定することではない。

死があっても、生を信じること。

36.《死への恐怖》から《生への信頼》へ

元資料で示された、

最初の幸福の変化がこれだ。

**《死への恐怖》

《生への信頼》**

死が消えたから、

安心するのではない。

生きている者が、

自分で人生を選べる。

悲しんでも、

また誰かと関係を作れる。

失っても、

その後の時間を生きられる。

だから、

生そのものを信じられる。

37.生は、守らなければすぐ壊れるだけのものではない

もちろん、

生命は脆い。

でも、

脆いからといって、

無力ではない。

人は、

傷つく。

それでも、

立ち直ることがある。

別れる。

それでも、

誰かとまた出会う。

失敗する。

それでも、

続ける。

この「続ける力」を信じることが、

ユーハバッハにとっての新しい救済観になる。

38.《未来の支配》から《未来への期待》へ

そして、

もう一つ。

**《未来の支配》

《未来への期待》**

未来を、

望む形へ固定する必要はない。

明日がどうなるか、

分からなくてもいい。

むしろ、

分からないから、

楽しみにできる。

元資料では、

ここがユーハバッハの幸福として明確に示されている。

39.「楽しみにする」という行為

楽しみにする。

これは、

未来を知らない者にしかできないことでもある。

何が起きる。

分からない。

でも、

きっと何かがある。

それを待つ。

巨大な力も、

予知も、

必要ない。

非常に小さな感情だ。

でも、

未来をすべて掌握しようとしたユーハバッハにとっては、

とても大きな変化になる。

40.明日の予定を、知らなくてもいい

明日は、

誰かと話すかもしれない。

何も起きないかもしれない。

雨かもしれない。

祭りがあるかもしれない。

誰かが突然、

旅へ誘うかもしれない。

全部を知っていなくてもいい。

そして、

何も起きないなら、

それでもいい。

明日は、

明日になってから知ればいい。

41.「未来が見えない」が安らぎになる

以前なら、

未来が見えないことは、

弱さだったかもしれない。

でも、

最後には、

未来を見なくても、

落ち着いていられる。

確認しない。

確定しない。

それでも、

眠れる。

明日が来ることを信じて、今日を終えられる。

これは、

ユーハバッハにとって、

非常に大きな安寧だと思う。

42.「また明日」という言葉

そして、

最終的に残るのが、

この言葉だ。

「また明日。」

普通なら、

何気ない。

非常に小さな言葉だ。

でも、

意味を考えると、

かなり大きい。

明日があると思っている。

相手もいると思っている。

また会えると思っている。

そして、

明日何が起こるかを、

全部知っている必要もない。

43.未来を確定しなくても、約束できる

未来は、

絶対ではない。

何が起きるか分からない。

それでも、

人は言う。

また明日。

これは、

未来を支配しているから言える言葉ではない。

むしろ、

未来を信じているから言える言葉

だと思う。

ユーハバッハがそこへ辿り着けたなら、

死と未来への関係は、

大きく変わっている。

44.「また明日」は、生への信頼そのもの

絶対に明日が来ると、

保証されているわけではない。

でも、

明日を前提にして、

今日を終える。

これは、

非常に静かな生への信頼だ。

すべての未来を見る能力より、

もっと小さい。

でも、

本人にとっては、

ずっと安らかなものかもしれない。

45.王が「見送れる」ようになる

ユーハバッハの王としての変化をまとめるなら、

一つの言葉が使えると思う。

所有する王から、見送れる王へ。

自分について来い。

ではなく、

行ってこい。

失敗するかもしれない。

それでも、

行きたいなら行け。

帰ってきたら、

何を得たのか聞く。

これは、

他者の人生を信じていなければできない。

46.戻ってこない可能性まで含めて

誰かを自由にするということは、

その者が、

自分の元へ戻らない可能性も認めることだ。

これは、

かなり怖い。

支配すれば、

そばに置ける。

自由にすれば、

去るかもしれない。

それでも、

自由を選ぶ。

ここまで行けば、

ユーハバッハは、

本当に他者の人生を所有しなくなっている。

47.愛することと、所有することは違う

大切だから、

そばに置きたい。

それは理解できる。

でも、

大切だからこそ、

その者が自分で選んだ道を歩けるようにする。

これも、

愛情の形になる。

ユーハバッハが、

配下を本当の意味で一人ひとりの存在として見るなら、

最後には、

ここへ辿り着くのではないかと思う。

48.世界そのものを変えなくても、誰かを助けられる

苦しむ者がいる。

なら、

世界全体を作り替える。

そこまでしなくてもいい。

目の前の者を助ける。

話を聞く。

手を貸す。

選択肢を増やす。

戻れる場所を作る。

そうした小さな救いもある。

救済は、必ずしも世界改変でなくても成立する。

49.「救わなければ」という使命から自由になる

これは、

ユーハバッハ自身にも返ってくる。

自分が、

すべてを救わなければならない。

その思いは、

巨大な力になる。

でも、

巨大な重荷にもなる。

他者にも力がある。

他者同士でも、

助け合える。

世界は、

一人だけで支えなくてもいい。

そう知れば、

王自身も少し休める。

50.何も変えない一日があってもいい

今日は、

世界を変えなかった。

誰かの未来も変えなかった。

大きな決断もしなかった。

ただ、

誰かと話した。

食事をした。

夜になった。

それで終わり。

そんな一日を、

失敗だと思わなくていい。

世界を救っていない日も、生きた一日である。

51.未来を知らずに眠る

そして、

夜が来る。

未来を見ることもできる。

でも、

見ない。

明日を、

明日に任せる。

目を閉じる。

これは、

ある意味、

究極の信頼だと思う。

世界への信頼。

他者への信頼。

そして、

自分自身への信頼。

おわりに

未来を知らなくても、「また明日」と言える

ユーハバッハを幸福にするために、

王であることをやめさせる必要はない。

威厳を消す必要もない。

カリスマも、

力も、

すべて捨てなくていい。

未来を見る力があるなら、

それも持っていていい。

ただ、

見える未来を、

他者へ強制しない。

救いたいと思っても、

相手の人生を代わりに決めない。

失敗する未来が見えても、

本人が進みたいなら、

選択を返す。

そして、

帰ってきたなら、

問いかける。

何を得たのか。

王として、

命令することはできる。

でも、

あえて聞く。

「お前は、どうしたい?」

それが、

弱さではない。

他者の人生を信じられる強さになる。

死も、

消さなくていい。

怖い。

悲しい。

それでも、

生きられる。

未来も、

全部知る必要はない。

分からない。

だからこそ、

楽しみにできる。

明日、

何が起きるか分からない。

でも、

それでいい。

今日を終える。

誰かへ言う。

「では、また明日。」

未来を確定しているからではない。

未来を支配しているからでもない。

明日というものを、信じているから。

《死への恐怖》から《生への信頼》へ。

《未来の支配》から《未来への期待》へ。

すべての未来を知る男が、

最後に見つける幸福は、

未来を知り尽くすことではない。

知らない明日を、楽しみに待つこと。

それが、

永夜世界ノクティラから考えた、

ユーハバッハの

一つの幸福の形である。

あなたが、生きてきたことを否定しない世界。

永夜世界ノクティラ。

本記事について

本記事は『BLEACH』に登場するユーハバッハの人物像・価値観・作中で描かれたモチーフを題材として、Lewd Beast Tribe/永夜世界ノクティラの文化・倫理・思想を考察する非公式の比較研究・思考実験です。

本記事で記述している「ノクティラであればどうなるか」という内容は、すべてLewd Beast Tribe側から行った独自の仮定であり、『BLEACH』の公式設定・続編・公式解釈を示すものではありません。

『BLEACH』および同作に登場するキャラクター・設定等の権利は、それぞれの原作者・出版社・制作会社その他の権利者に帰属します。

Lewd Beast Tribeおよび本サイトは、『BLEACH』ならびに各権利者とは関係ありません。