第4篇 『幼女戦記』
戦争がなくても、その才能は消えない
――もし、彼女が永夜世界ノクティラの思想と出会ったなら
はじめに
戦争の中で磨かれた才能は、
戦争が終わったら無価値になるのだろうか。
危機を読む力。
限られた資源を配分する力。
組織を動かす力。
人員を配置する力。
最悪の事態を予測し、
その被害を最小限に抑えるための判断力。
それらが戦場で使われてきたからといって、
その能力そのものまで「戦争のためのもの」なのだろうか。
『幼女戦記』のターニャ・デグレチャフについて、
永夜世界ノクティラの思想から考えてみたとき。
最初に浮かんだのは、
「戦争のない世界で、彼女は何をするのだろう」
という問いだった。
けれど考えていくと、
もっと重要なのはその先だった。
ターニャは、
本当に「戦争をしたい人物」なのだろうか。
むしろ彼女が求め続けているものは、
生存。
安全。
安定。
合理的に将来を設計できる環境。
そして、
できることなら危険な前線ではなく、
安全な場所で自分の人生を生きること。
だとするなら。
戦争の存在しないノクティラは、
彼女にとって、
「能力を発揮する場所がなくなる世界」ではない。
むしろ、
今まで生き延びるために使わざるを得なかった能力を、初めて自分で使い道を選べる世界
なのではないだろうか。
第4篇『幼女戦記』では、
そこから考えてみたい。
これは、『幼女戦記』の物語の続きを考えるものではない。
ターニャが実際にノクティラへやって来たという、Lewd Beast Tribeの公式設定でもない。
『幼女戦記』に描かれた人物像を題材として、
「生存のために磨かれた合理性は、生存が保証された世界で何へ変わるのか」
を考える思考実験である。
1.ターニャが欲しかったもの
ターニャという人物について考えるとき、
非常に分かりやすい部分がある。
彼女は、
危険な場所で死にたいわけではない。
戦場で英雄になりたいわけでもない。
苦労そのものを愛しているわけでもない。
できることなら、
安全な場所にいたい。
生き残りたい。
安定した将来がほしい。
理不尽によって人生を壊されたくない。
そう考える。
つまり、
ノクティラという世界へ来た時点で、
彼女が長く求めてきたもののかなりの部分が、
すでに存在していることになる。
2.安全な後方が、本当にある
戦争がない。
兵役もない。
誰かに徴兵されることもない。
突然、
国家間の都合によって戦場へ送り込まれることもない。
安全な後方へ行きたいと思って、
さらにその後方が前線へ変わることもない。
そこにあるのは、
「安全な後方」ではなく、そもそも前線と後方に分けなくてもいい生活である。
ターニャにとって、
これはかなり大きな違いだと思う。
3.「何を要求される?」
しかし、
だからといって、
彼女がすぐ安心するとも思えない。
おそらく最初に確認するのは、
この世界が自分へ何を要求してくるのかだ。
労働義務はあるのか。
兵役はあるのか。
所属しなければならない組織はあるのか。
何かを受け取る代わりに、
どんな対価を求められるのか。
そんなものはない。
そう説明される。
すると次の疑問が出る。
では、私に何をさせたい?
そこで返ってくるのは、
「何をしてほしい」ではなく、
「何がしたい?」
という問いになる。
4.「何がしたい?」という難問
これは、
ターニャにとって意外と難しい問いなのかもしれない。
何をすべきか。
何をすると得なのか。
どうすれば安全なのか。
どうすれば評価されるのか。
どうすれば将来が安定するのか。
そうした問いには、
非常に強い。
けれど、
「損得も義務も関係なく、自分は何をしたいのか」
となると、
話が少し変わってくる。
生き残るためではない。
評価されるためでもない。
昇進のためでもない。
誰かから命令されたわけでもない。
それでも、
何かをする。
その理由を、
自分自身で選ばなければならない。
5.まずは、休めばいい
ノクティラなら、
そこで急いで答えを求めない。
仕事を決めなくてもいい。
何かを生み出さなくてもいい。
しばらく休んでもいい。
食事をする。
眠る。
好きな時間に起きる。
誰にも呼び出されない。
報告書もない。
作戦会議もない。
敵情分析も必要ない。
明日の生存率を計算しなくてもいい。
休むことに理由はいらない。
6.「休む権利」が存在する
ここは、
ターニャにとって重要な部分になる。
休むことが、
次の任務のための回復ではない。
明日の戦闘へ備えるためでもない。
負傷から復帰するためでもない。
ただ、
今日は働きたくない。
だから休む。
それが許される。
休息が、生産性のための手段ではなく、一つの権利として存在している。
これは合理主義者である彼女にとって、
意外と強く理解できる考え方かもしれない。
7.一ヶ月くらいは、最高の休暇になる
資料で考えたターニャは、
最初の一ヶ月ほど、
最高の休暇を満喫している。
それでいい。
今まで欲しかったものなのだから。
安全。
食事。
寝床。
将来への不安がほとんどない。
誰からも、
「次の戦場へ行け」
とは言われない。
ようやく得たものを、
まず楽しめばいい。
8.しかし、数ヶ月後
ところが。
数ヶ月もすると、
なぜか働き始めている。
ここが、
非常にターニャらしい。
誰にも強制されていない。
働かなければ生きていけないわけでもない。
それでも、
何かを始める。
なぜなら彼女は、
ただ安全な場所へ逃げたいだけの人物ではないからだ。
能力があり、それを合理的に使えるなら、使いたくなる人物でもある。
9.「何もしなくていい」と「何もしない」は違う
ここで、
ノクティラの自由が面白い意味を持つ。
働かなくてもいい。
それは、
働いてはいけないという意味ではない。
何もしなくても生きていける。
それは、
何もしてはいけないという意味でもない。
選択肢がある。
だから、
ターニャ自身が、
「仕事をしたい」
と思えば仕事をすればいい。
休む権利と、何もしないことは別問題である。
10.戦場で培った能力を、一つずつ分解する
ターニャの能力を、
「軍事能力」
という一つの箱へ入れてしまえば、
戦争のないノクティラでは使い道がないように見える。
けれど、
その中身を分けてみる。
組織運営。
危機管理。
物流。
教育。
制度設計。
人員配置。
状況分析。
長期計画。
大規模なプロジェクトの管理。
それらは、
戦争そのものではない。
戦争という極端な環境の中で使われていた、汎用的な能力である。
11.戦争が、才能を所有しているわけではない
これは第4篇で、
最も大切にしたい考え方の一つだ。
ある能力が戦場で磨かれた。
だからといって、
その能力の所有者が戦争になるわけではない。
危機管理能力は、
戦争のものではない。
物流能力も。
組織運営能力も。
判断力も。
それらは、ターニャ自身の能力である。
ならば、
戦争がなくなっても、
彼女から消える理由はない。
12.物流は、人を殺すためだけのものではない
必要なものを、
必要な場所へ、
必要な量だけ届ける。
これは軍隊でも重要になる。
けれど、
社会でも同じだ。
食料。
資材。
医薬品。
衣類。
建築材料。
災害時の物資。
祭りやイベントのための設備。
物流は、
兵士を戦わせるためだけにあるのではない。
人が生活するためにも必要な技術である。
13.危機管理は、危機を作るための能力ではない
ターニャは、
最悪の事態を考えることに長けている。
何が起こり得るか。
どこが弱点か。
どの程度の損害が予想されるか。
どう備えればいいか。
戦争では、
それが生死へ直結する。
けれど、
平和な社会でも、
危機は完全にはなくならない。
事故。
災害。
設備故障。
大規模イベントでの混乱。
予想外のトラブル。
そうしたものへ備えることができる。
危機を予測する才能は、危機を生み出すためではなく、危機による被害を減らすためにも使える。
14.教育能力も残る
組織を強くするには、
一人だけ優秀でも足りない。
知識を共有する。
後進を育てる。
手順を整える。
何が問題なのかを分析し、
改善する。
これも、
戦場だけの技能ではない。
ノクティラには、
新しいことを学びたい者もいる。
技術を身につけたい者もいる。
集団で何かを作りたい者もいる。
そこには、
教えることのできる人間が必要になる。
15.制度を考える力
何か問題が起きた。
そのたびに、
誰か優秀な個人が対応する。
それでは、
いつまでも同じ問題が起こる。
ならば、
問題そのものが起こりにくい仕組みを作る。
誰でも理解できる手順。
責任の所在。
資源の配分。
緊急時の対応。
情報共有の方法。
こうした制度を作ることにも、
ターニャの合理性は向いている。
英雄的に問題を解決するのではなく、英雄が必要ない仕組みを作る。
これもまた、
一つの才能の使い方になる。
16.合理主義は、冷たいだけなのか
ターニャの特徴として、
合理主義がある。
感情より、
結果。
目的。
効率。
そうしたものを優先する。
それは、
ときに冷たいものとして見える。
けれど、
合理主義そのものが、
必ず人を傷つけるわけではない。
何を目的とするかによって、
結果は変わる。
17.目的が「生き残る」から「良く暮らす」へ変わったら
戦場では、
合理性の目的が、
生存になる。
どうすれば死なないか。
どうすれば部隊を維持できるか。
どうすれば勝てるか。
では、
生存そのものが保証された社会なら。
目的を変えられる。
どうすれば、
もっと安全になるか。
どうすれば、
無駄な負担を減らせるか。
どうすれば、
皆が好きなことへ時間を使えるか。
どうすれば、
大きな計画を失敗なく進められるか。
合理性は、目的が変われば幸福を作る技術にもなる。
18.冷徹な判断力
感情に流されず、
必要な判断をする。
これも、
戦争では非常に危険な形を取ることがある。
けれど。
災害が起きた。
事故が起きた。
皆が混乱している。
そんなとき、
状況を整理し、
何を優先すべきか決める者がいることは重要だ。
冷静であることは、
命を軽く見ることと同じではない。
むしろ、
感情に飲まれず、できるだけ多くの命を守るための判断力
として使うこともできる。
19.計算高さは、長期計画になる
先を読む。
何が得か。
何が損か。
どんな危険があるか。
今ここで何を選べば、
後になってどうなるか。
そう考える性質も、
戦争だけのものではない。
都市計画。
資源管理。
施設運営。
大規模な建築。
長期間にわたる研究や事業。
数十年単位で考える世界なら、
長期計画能力は大きな才能になる。
20.出世欲は、消さなくてもいい
より高い立場へ行きたい。
評価されたい。
能力に見合った権限がほしい。
そう思うことも、
別に悪ではない。
ターニャから、
向上心まで取り上げる必要はない。
責任ある立場へ行きたいなら、
目指せばいい。
ただし、
その地位が、
生存のための避難場所である必要はなくなる。
「安全になるために上へ行く」のではなく、「自分の能力をもっと大きく使いたいから上へ行く」。
同じ出世欲でも、
意味が変わる。
21.生存への執着
ターニャは、
生き残ろうとする。
それを、
臆病と見る必要はない。
生きたい。
死にたくない。
自分の人生を守りたい。
これは、
非常に根本的な願いである。
そしてノクティラでは、
その願いを否定しない。
生きたいという気持ちは、そのままでいい。
22.「自分が生きたい」から、「命は軽くない」へ
自分自身の命を、
ここまで大切にした人物だからこそ。
長い時間を生きる中で、
ある感覚が広がる可能性もある。
自分が死にたくない。
ならば、
他の誰かも同じかもしれない。
自分の未来を奪われたくない。
ならば、
他者の未来も軽く扱うべきではない。
これは、
急に優しい人物へ変わるという話ではない。
自分の生存を合理的に重視する思想を、そのまま他者へも適用していく。
そういう広がり方なら、
ターニャらしさを失わない。
23.軍人としてのカリスマ
ターニャには、
人を動かす力がある。
指示を出す。
組織をまとめる。
目的を共有させる。
必要な行動を取らせる。
それは、
軍隊でなくても使える。
大規模な建築。
探検。
研究。
イベント。
災害対応。
新しい施設の運営。
いろいろな場所で、
人をまとめる者は必要になる。
軍人としてのカリスマは、指導者としてのカリスマへ転用できる。
24.ただし、命令する権利は自動的には与えられない
ここで、
ノクティラらしい境界がある。
ターニャが優秀だからといって、
他者へ無条件に命令できるわけではない。
参加するかどうかは、
本人が決める。
辞める自由もある。
意見を言う自由もある。
だから、
人を動かすには、
階級だけでは足りない。
「この人の計画なら参加してもいい」と思ってもらう必要がある。
25.命令から、合意へ
これは、
ターニャにとって面白い変化になるかもしれない。
軍隊では、
命令系統が重要になる。
しかし、
自由な社会では、
命令より合意が重要になる場面も増える。
なぜ必要なのか。
何を目指すのか。
どんな利益があるのか。
どんな危険があるのか。
説明する。
納得してもらう。
そのうえで、
指揮を任せてもらう。
合理的に説明することが得意なターニャなら、案外こちらにも適応するのではないだろうか。
26.「言うことを聞け」ではなく、「この方法が最も合理的だ」
ターニャが、
人をまとめる。
しかし、
そこに兵役はない。
命令へ従う義務もない。
だから必要になるのは、
説得力だ。
この方法なら、
事故率が低い。
この配置なら、
作業負担が減る。
この計画なら、
予定より早く終わる。
根拠を示す。
そして、
他にもっと良い案が出れば、
採用する。
合理主義は、権威へ従わせるためではなく、合意を作るための言語にもなれる。
27.失敗しても、死なない
これは、
非常に大きい。
戦場では、
判断の失敗が、
そのまま死へ繋がる。
自分だけではない。
部下も。
仲間も。
その緊張は、
判断そのものを変える。
けれど、
平和な仕事なら。
計画が失敗した。
予定より遅れた。
予算を見誤った。
イベントが少し混乱した。
そういう失敗もある。
でも、
改善できる。
次がある。
失敗が、必ずしも人生の終わりではない。
28.「次は改善する」で済む世界
ターニャなら、
失敗を嫌うだろう。
報告書を書く。
原因を分析する。
改善策を作る。
次回へ反映する。
そして、
本当に次回がある。
誰かが死んだからではない。
敗戦したからでもない。
ただ、
次はもっと上手くやりたいから。
合理性が、恐怖ではなく改善の楽しさへ繋がっていく。
29.大規模な仕事が、遊びになることもある
ノクティラには、
生活に必要な仕事だけでなく、
文化や遊びもある。
巨大な祭り。
競技大会。
新しい地区の開発。
探索計画。
長期間の研究。
大規模な催し。
ターニャから見れば、
そこには、
管理すべき人員がいる。
資材がある。
日程がある。
リスクがある。
予算がある。
つまり、
とても面白い仕事がある。
30.戦争ほど複雑でなくても、本気になれる
戦争は、
極めて複雑な人間活動でもある。
情報。
物流。
心理。
技術。
組織。
政治。
あらゆるものが絡む。
だから、
そこへ適応した人物は、
単純な仕事では物足りなくなるかもしれない。
ならば、
戦争ではない、
同じくらい大きな課題を用意すればいい。
誰も死なない。
でも、
本気で考える必要がある。
知性を使い切れるほど難しく、それでも他者の命を賭けなくていい課題。
そういうものはいくらでも作れる。
31.「戦争がない」と「退屈」は同じではない
これは、
ターニャに限らず重要な話になる。
戦争がない。
危機がない。
だから何も起きない。
そうではない。
世界には、
作ることがある。
学ぶことがある。
競うことがある。
挑戦することがある。
失敗することがある。
改善することがある。
刺激を得るために、人を殺す必要はない。
32.自分で選んだ仕事
そして、
ここで一番大きな違いが生まれる。
誰かに命じられたわけではない。
生活のために必要なわけでもない。
やらなくても、
明日も食べていける。
それでも、
ターニャは働いている。
なぜか。
自分で選んだから。
33.「楽しそうだね」
忙しそうに、
大量の資料を整理している。
予定表を作る。
人員配置を考える。
問題を洗い出す。
効率の悪い部分へ苛立つ。
改善案を出す。
周囲から見れば、
とても楽しそうに見えるかもしれない。
そう言われれば、
本人は少し不満そうにするかもしれない。
しかし、
答えはおそらく単純だ。
「当然だ。自分で選んでいるからな。」
34.義務としての仕事と、選択としての仕事
同じ「働く」でも、
意味はまったく違う。
やらなければ生きられないから働く。
命令されたから働く。
拒否すれば罰せられるから働く。
それと、
自分がやりたいから働く。
能力を使いたいから働く。
面白いから働く。
達成したいものがあるから働く。
これは、
同じ行為でも違う。
自由とは、何もしないことだけではなく、何かをすることを自分で選べることでもある。
35.ターニャは、働かない人をどう見るのか
ここは少し面白い問題になる。
合理主義者であるターニャから見れば、
何もせず生活している者に対して、
最初は理解しにくい部分もあるかもしれない。
能力があるなら使えばいい。
暇なら何かすればいい。
そう思う可能性はある。
けれど、
ノクティラでは、
それも本人の選択だ。
働きたい者は働く。
休みたい者は休む。
創作したい者は創作する。
旅をしたい者は旅をする。
何もしない時期があってもいい。
自分が働く自由と同じだけ、他者には働かない自由がある。
36.効率が、人生の目的ではない
ターニャにとって、
ここは長い時間をかけて面白い発見になるかもしれない。
効率は、
目的を達成するために重要だ。
けれど、
人生そのものの目的ではない。
わざわざ遠回りする。
非効率な方法で何かを作る。
何時間もかけて料理する。
意味もなく散歩する。
くだらない会話をする。
それらは、
効率だけで見れば無駄かもしれない。
でも、
本人が楽しいなら。
その時間そのものに価値がある。
37.無駄を排除しない合理性
おそらくターニャは、
最終的に「無駄も必要だ」と感情論で納得するのではない。
もっと彼女らしく、
合理的に理解するのではないだろうか。
休息があるほうが、
長期的には能力を維持できる。
遊びがあるほうが、
精神的な安定につながる。
文化があるほうが、
社会は豊かになる。
そして、
本人が幸福なら、
そもそもそれを排除する理由がない。
「無駄を許容することが、最も合理的な場合もある。」
そんな結論へ辿り着くかもしれない。
38.平穏そのものを管理しなくていい
ターニャは、
安全を得れば、
その安全が失われないように管理したくなるかもしれない。
危険要素を探す。
将来の不確定要素を減らす。
備蓄する。
計画する。
それ自体は悪くない。
けれど、
いつか気づく日が来る。
自分一人がすべてを管理しなくても、明日は来る。
世界全体を、
自分の計画表へ収めなくてもいい。
39.任せるという合理性
他人を信用する。
役割を任せる。
自分が休んでいる間にも、
誰かが必要なことをする。
これは、
組織運営としても合理的だ。
一人にすべてが集中する組織は、
強くない。
だから、
ターニャ自身が、
休める組織を作る。
自分がいなくても回る仕組みを作る。
そして、
本当に休む。
「自分がいなくても大丈夫な状態」を作ることも、優秀な管理者の仕事である。
40.安全を守るために、人生を安全管理だけに使わない
生き残りたい。
これは、
ターニャの非常に強い願いだ。
でも。
生き残るためだけに、
人生すべてを危機管理へ使っていたら。
安全になった後にも、
安全を守ることだけを続けていたら。
何のために生き残ったのか、
という問いが残る。
生存は、人生の目的であると同時に、その先を生きるための条件でもある。
41.生き残った後に、何をするのか
安全だ。
明日も生きている可能性が高い。
将来もある。
なら。
次の問いが生まれる。
何をする?
どこへ行く?
何を作る?
何を学ぶ?
誰と関わる?
どんな仕事をしたい?
そこで初めて、
「生き残るための選択」ではない選択が始まる。
42.合理性が、創造へ向かう
これまで、
合理性は危機を避けるために使われてきた。
ならば、
危機が少なくなった後。
その莫大な思考力を、
今度は何かを作るためへ使えばいい。
もっと良い物流。
もっと安全な都市。
もっと効率的な制度。
もっと面白い催し。
もっと使いやすい施設。
もっと失敗しにくい組織。
「どうすれば生き残れるか」から、「どうすればもっと良くできるか」へ。
43.《生存のための合理性》から
保存資料では、
ターニャの幸福の形を、
**《生存のための合理性》
→《自己決定による創造と仕事》**
と整理している。
これは、
合理主義を捨てるという意味ではない。
仕事をやめることでもない。
野心を捨てることでもない。
むしろ逆だ。
全部残る。
合理的。
計算高い。
向上心が強い。
危機管理にうるさい。
無駄へ文句を言う。
仕事には厳しい。
そのままでいい。
44.変わるのは、「何のために使うのか」
合理主義そのものではなく。
その目的が変わる。
生き残らなければならないから、
合理的になる。
から、
自分で選んだものを、もっと良くしたいから合理的になる。
命令されたから組織を動かす。
から、
自分がやりたい計画だから組織を動かす。
安全な地位を得るために出世する。
から、
もっと大きな仕事をしたいから上を目指す。
同じ性質でも、
使い道が変わる。
45.負の側面を削らない
これは、
ノクティラの考え方そのものでもある。
合理的すぎる。
冷たい。
計算高い。
出世欲がある。
生存へ執着する。
そうした性質を、
「幸福になるために直しましょう」
とはしない。
それら全部に、
別の出口を作る。
性格を削るのではなく、性格が幸福へ向かえる使い道を増やす。
46.合理主義者のまま、幸福になっていい
幸福になる人物というと、
柔らかくなること。
優しくなること。
欲を捨てること。
のんびりすること。
そうした変化を想像しやすい。
けれど、
ターニャは別に、
のんびりした人物になる必要はない。
休暇を取ったあと、
自分から仕事を始めてもいい。
大量の書類に囲まれながら、
充実していてもいい。
合理主義者には、合理主義者の幸福がある。
47.仕事が好きでもいい
「働かなくても生きられる世界」という話をすると、
仕事から解放されることが幸福のように見える。
それも一つの幸福だ。
でも、
仕事そのものが好きな人もいる。
問題を解くこと。
組織を動かすこと。
計画を完成させること。
成果を見ること。
そこに喜びを感じるなら、
それを奪う必要はない。
ノクティラの自由は、
「働かなくていい自由」と「好きなだけ働ける自由」を同時に持てること
でもある。
48.ただし、他人には押しつけない
自分が仕事を好きだからといって、
他人も同じである必要はない。
自分が合理的だからといって、
他人もすべてを効率化したいわけではない。
そこには境界がある。
ターニャ自身の自由と、
他者の自由。
この二つがぶつかるとき、
どこまで自分の合理性を通していいのか。
それを考える必要がある。
49.「本人がそれでいいなら、それも合理的」
誰かが、
一日中好きな音楽を聴いている。
別の誰かは、
何日も旅行している。
また別の誰かは、
効率の悪い方法で何かを作っている。
それを見て、
最初は理解できないかもしれない。
けれど。
本人が幸福で、
誰かの自由も奪っていない。
ならば。
それをわざわざ矯正するコストのほうが無駄である。
そんなところから、
ターニャなりの「他者の自由の尊重」が始まっても面白い。
50.ターニャは、ターニャのままでいい
戦争がなくても。
兵役がなくても。
命令がなくても。
安全な後方が、
本当に安全なままでも。
彼女は、
何者でもなくなるわけではない。
むしろ、
ようやく見えてくる。
戦争を取り除いても、
まだたくさん残っているものがある。
知性。
判断力。
合理性。
野心。
指導力。
管理能力。
生きたいという意志。
それらは、
戦争が彼女に貸していたものではない。
最初から、彼女自身のものだった。
51.そして、ターニャ・デグレチャフへ
この第4篇で考える人物は、
ターニャ・デグレチャフ。
彼女に、
「もう頑張らなくていい」
と言って終わるのではない。
休みたければ、
休んでいい。
でも、
働きたければ働けばいい。
野心があるなら、
持っていていい。
能力を使いたいなら、
使えばいい。
ただし、
その理由だけは、
もう戦争が決めなくていい。
おわりに
「生き延びるため」ではなく、「やりたいから」
ターニャから、
合理性を取り上げる必要はない。
冷徹な判断力を消す必要もない。
計算高さを直す必要もない。
出世欲を捨てさせる必要もない。
仕事を嫌いにさせる必要もない。
戦争だけを取り除く。
すると、
その後にも、
驚くほどたくさんのものが残る。
組織を動かす力。
危機を予測する力。
物流を整える力。
人を育てる力。
制度を作る力。
長い時間を見通す力。
大きな計画を完成させる力。
そして、
何より強い、
生きたいという意志。
戦場では、
それらがすべて、
「生き残るため」
へ向いていた。
でも、
生き残ることが日常になったなら。
今度は、
別の問いを持てる。
「では、この能力を何に使いたい?」
最初は、
分からなくてもいい。
一ヶ月くらい、
最高の休暇を楽しんでもいい。
でも。
数ヶ月後。
気づけば、
どこかで資料を広げているかもしれない。
誰にも命令されていない。
働かなければ死ぬわけでもない。
評価を得なければ安全になれないわけでもない。
それなのに、
計画を立てている。
人員配置を考えている。
効率の悪い仕組みを見つけて、
猛烈に改善したくなっている。
そんな彼女へ、
誰かが言う。
「楽しそうだね。」
すると、
ターニャは少し呆れたように答えるのかもしれない。
「当然だ。自分で選んでいるからな。」
そこにあるのは、
戦争によって強制された有能さではない。
自分の能力を、
自分の意思で使う幸福である。
だから、
ターニャ・デグレチャフの幸福の形は、
こうなる。
**《生存のための合理性》
→《自己決定による創造と仕事》**
戦争がなくなっても、
彼女の才能は消えない。
むしろ。
戦争がなくなって初めて、その才能が本当はどれだけ多くのことへ使えたのかが分かる。
安全に生きたいという願いも。
合理的でありたいという性格も。
上を目指したいという欲も。
全部、
そのままでいい。
ただ。
生き延びるためだけではなく。
自分自身が、
やりたいと思ったことのために使えるようになる。
それが、
この合理主義者にとっての、
とても合理的な幸福なのかもしれない。
あなたが、生きてきたことを否定しない世界。
永夜世界ノクティラ。
本記事について
本記事は『幼女戦記』に登場するターニャ・デグレチャフの人物像・価値観・作中で描かれたモチーフを題材として、Lewd Beast Tribe/永夜世界ノクティラの文化・倫理・思想を考察する非公式の比較研究・思考実験です。
本記事で記述している「ノクティラであればどうなるか」という内容は、すべてLewd Beast Tribe側から行った独自の仮定であり、『幼女戦記』の公式設定・続編・公式解釈を示すものではありません。
『幼女戦記』および同作に登場するキャラクター・設定等の権利は、それぞれの原作者・出版社・制作会社その他の権利者に帰属します。
Lewd Beast Tribeおよび本サイトは、『幼女戦記』ならびに各権利者とは関係ありません。
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