LEWD BEAST TRIBE

SERIAL RECORD

導入・総論《「戦争が好きだ」という心を否定しないために》

第5篇 『HELLSING』

「戦争が好きだ」という心を否定しないために

――もし、彼らが永夜世界ノクティラの思想と出会ったなら

はじめに

「あなたが、生きてきたことを否定しない。」

永夜世界ノクティラは、

そういう世界である。

では。

もし、

「戦争が好きだ」

と心から言う人物が現れたなら。

ノクティラは、

その人物まで受け入れられるのだろうか。

これは、

この世界の思想を考えるうえで、

かなり厳しい問いになる。

なぜなら、

「誰かを傷つけたいわけではない」

という人物なら、

比較的考えやすいからだ。

強さを求めている。

知識を求めている。

支配したい。

勝ちたい。

そうした願いなら、

別の出口を考えることができる。

けれど。

戦争そのものを愛している人物なら。

他者の意志が衝突すること。

計画が動き出すこと。

勝つこと。

負けること。

予測が裏切られること。

巨大な戦場が、

一つの生き物のように動くこと。

そして、

その結果として人が死ぬ世界さえ含めて、

「戦争が好きだ」

と言う人物なら。

ノクティラは、

どこまでその心を否定せずにいられるのだろう。

第5篇『HELLSING』では、

少佐という人物を通して、

その問題を考えてみたい。

これは、『HELLSING』の物語の続きを描くものではない。

作中の少佐が実際にノクティラへやって来たという、

Lewd Beast Tribeの公式設定でもない。

『HELLSING』に描かれた人物像を題材として、

「人物自身を否定しないことと、その人物が他者へ行おうとする行為を拒絶することは両立できるのか」

を考える思考実験である。

1.少佐を「本当は優しい人」にしてはいけない

まず、

少佐について考えるとき、

一番やってはいけないことがある。

それは、

彼の戦争への執着を、

分かりやすい傷や寂しさへ還元してしまうことだ。

「本当は寂しかった。」

「愛されたかった。」

「傷ついた過去があったから。」

そう解釈すれば、

物語としては救済しやすくなる。

けれど。

それでは、

少佐という人物そのものを別人へ変えてしまう。

彼は、

単に何かを得るための手段として、

戦争を利用する人物ではない。

戦争そのものを愛している。

そこから始めなければならない。

2.理由がなくても、心は存在する

人の性質には、

必ずしも分かりやすい原因があるとは限らない。

なぜ好きなのか。

なぜ惹かれるのか。

本人にも、

説明できないことがある。

だから、

ノクティラは、

何でも「原因」を探して治そうとはしない。

戦争が好きなら、

まずは、

「そういう心を持っているんだね。」

と受け止める。

原因を決めつけない。

矯正から始めない。

3.しかし、「好き」と「やっていい」は違う

ここで、

ノクティラには境界がある。

戦争が好き。

それは、

本人の心だ。

誰にも、

その感情を消させる権利はない。

けれど。

だからといって、

戦争を始めていいわけではない。

なぜなら、

そこには、

巻き込まれる者がいるからだ。

死にたくない者。

戦いたくない者。

家族を失いたくない者。

生活を壊されたくない者。

その人たちにも、

同じように心がある。

4.「あなたの心は否定しない。でも、他人の心も否定させない」

ノクティラの思想を、

少佐へ向けるなら。

おそらく、

こういう形になる。

あなたが戦争を好きであることは否定しない。

でも、

そのために、

戦争を望んでいない誰かの人生を壊すことは許さない。

あなたの自由を守る。

同じだけ、

他人の自由も守る。

だから。

「人物を受け入れること」と「その人物のすべての行為を許可すること」は同じではない。

5.「私自身を否定するのではなく、私の行為を拒絶する」

この違いは、

少佐のような人物を考えると、

非常に明確になる。

戦争が好きだ。

分かった。

では戦争をさせてくれ。

それはできない。

なぜだ。

戦争が好きな私を否定するのか。

違う。

あなたを否定しているのではない。

あなたが他者の自由を奪う行為を拒絶している。

ここが、

ノクティラの「否定しない」という思想の境界になる。

6.「何でも許す世界」ではない

あなたが、生きてきたことを否定しない。

これは、

何をしても許すという意味ではない。

その人物が、

存在していていい。

その心が、

存在していていい。

過去も、

消さなくていい。

しかし、

他者の尊厳。

自由。

意思。

生命。

それらまで、

一人の欲望のために差し出すことはできない。

ノクティラが守るのは、一人の自由ではなく、そこに生きる者すべての自由である。

7.では、少佐は不幸になるしかないのか

ここで、

次の問題が生まれる。

戦争が好き。

しかし、

戦争は許されない。

なら。

少佐は、

ノクティラでは永遠に欲求不満のままなのだろうか。

「諦めなさい。」

としか言えないのだろうか。

もしそうなら、

それは、

ノクティラが目指している思想とは少し違う。

8.戦争を、分解してみる

そこで、

「戦争が好き」という言葉を、

一つの塊として扱わない。

少佐が愛しているものの中には、

何があるのか。

戦略。

準備。

兵站。

配置。

予測。

予測不能性。

作戦の成功。

作戦の崩壊。

勝利。

敗北。

集団同士の意志の衝突。

巨大な計画。

想定外。

自分自身まで盤上の駒になること。

そして、

何年もかけて準備したものが、

ついに動き始める瞬間。

こうして見ると、

少し違う景色が見えてくる。

9.殺戮だけが、戦争の構成要素ではない

もちろん、

戦争には死がある。

破壊がある。

苦痛がある。

だからこそ、

現実の戦争を肯定することはできない。

でも。

少佐が戦争に感じている魅力のすべてが、

「人が死ぬこと」だけに集約できるとは限らない。

戦略。

競争。

混沌。

巨大な計画。

敵味方の知恵比べ。

予定通りに進まない面白さ。

勝っても。

負けても。

何かが動き続けること。

ならば、その熱量の中から、他者の死を必要としない部分を取り出すことはできるかもしれない。

10.「戦争をやめろ」ではなく、「何が好きなのか」

これは、

ノクティラの考え方そのものでもある。

強さを求める者へ、

強さを捨てろとは言わない。

知識欲の強い者へ、

知りたがるなとは言わない。

ならば、

戦争を愛する者へも。

単純に、

「戦争を好きになるな」

とは言わない。

代わりに、

問いを変える。

「戦争の、何が好き?」

11.戦略が好きなら

相手の行動を読む。

自分の手を隠す。

限られた資源を使う。

何手も先を読む。

予想外の一手へ対応する。

それが好きなら。

ゲームがある。

競技がある。

模擬戦がある。

盤上遊戯がある。

大規模な戦略競技も作れる。

命を奪わなくても、

本気で頭を使う戦場は作れる。

12.兵站が好きなら

何百人。

何千人。

さらに大きな人数を動かす。

食料。

資材。

移動。

補給。

時間。

情報。

それらを、

滞りなく動かす。

この快感も、

戦争だけのものではない。

巨大な祭り。

都市規模の競技。

探索。

建築。

研究。

大規模な催し。

兵站は、人を殺すためだけではなく、人を動かすための技術でもある。

13.予測不能性が好きなら

全部、

予定通りに進む。

それでは、

少佐は退屈するかもしれない。

ならば、

想定外を残せばいい。

対戦相手がいる。

人間がいる。

獣人がいる。

妖怪がいる。

それぞれが、

自分の意思で動く。

全情報を持つ者はいない。

途中で状況が変わる。

予想外の選択が出る。

他者の自由そのものが、予測不能性になる。

14.勝利だけが目的ではない

少佐の面白いところは、

単純な勝利至上主義だけでは整理できない点にある。

計画が崩れる。

予想外が起きる。

相手がこちらを上回る。

自分が負ける。

それすら、

「面白い」

へ含められるなら。

これは、

競技との相性が非常に良い。

勝たなければ価値がないのではない。

全力でぶつかった結果として、何が起きるかを見ること自体に価値がある。

15.負けても笑える人物

全力で組み立てた。

完璧だと思った。

しかし、

相手がそれを破った。

普通なら、

悔しい。

少佐も悔しいだろう。

でも。

同時に、

それを楽しめる可能性がある。

「そう来たか。」

「その手があったか。」

「素晴らしい。」

そう思えるなら、

勝者である必要すらない。

16.チェスから始めてもいい

最初は、

小さなものでもいい。

チェス。

盤上遊戯。

数週間。

数ヶ月。

やがて、

少佐は言うかもしれない。

「この戦場は狭すぎる。」

なら。

広げればいい。

17.ノクティラ全土を使った巨大戦略ゲーム

地形。

資源。

外交。

諜報。

物流。

探索。

経済。

士気。

正体隠匿。

陣営ごとに違う目的。

参加者ごとに違う勝利条件。

誰も、

すべての情報を持っていない。

嘘もある。

交渉もある。

同盟もある。

裏切りもある。

ただし、

最後に誰も死なない。

「戦場の霧」はある。でも、墓地は必要ない。

18.戦争の緊張感を、競技へ

安全だからといって、

ぬるくする必要はない。

本気で勝ちたい。

本気で負けたくない。

何ヶ月も準備する。

相手を研究する。

作戦を立てる。

徹夜で議論する。

悔しがる。

喜ぶ。

泣く。

笑う。

それくらい、

本気になっていい。

違うのは一つ。

終わったあと、全員が帰れる。

19.「殺さない」は、「本気になるな」ではない

これは重要だと思う。

誰かを殺さない。

誰かの人生を壊さない。

だから、

真剣になってはいけない。

そうではない。

本気で競っていい。

敵対していい。

勝ちにいっていい。

相手の作戦を潰していい。

悔しがらせてもいい。

でも、

そこには合意がある。

終われば、

競技は終わる。

本気の闘争と、他者の人生を奪うことは同じではない。

20.武道大会にも現れる

競争がある。

すると、

少佐が現れる。

武道大会。

戦略競技。

研究競争。

巨大建築。

探索イベント。

陣取り。

料理大会。

何でもいい。

誰かと誰かが、

本気で競っている。

それだけで、

彼の目には「戦場」に見えるかもしれない。

21.料理大会すら戦争になる

料理大会。

普通なら、

食材を選び。

料理を作る。

味を競う。

少佐は違う。

チーム編成。

食材調達。

時間配分。

対戦相手の傾向分析。

作業工程の最適化。

情報収集。

予備案。

リスク管理。

本人が楽しければ、それでいい。

周囲から見れば、

料理大会だ。

本人にとっては、

立派な「作戦」なのだろう。

22.戦争という言葉を、本人から奪う必要もない

ここも、

あえて残していいと思う。

何百年後。

少佐は、

まだ言っている。

「私は戦争が好きだ!」

周囲も知っている。

「知ってる。」

「また言ってる。」

それくらいでいい。

言葉まで矯正する必要はない。

23.「戦争」と呼びたいなら、呼べばいい

少佐が、

巨大競技を、

「戦争」と呼ぶ。

周囲は、

別に同じ呼び方をしなくてもいい。

ただ。

実際には、

参加者は同意している。

退出もできる。

死者も出ない。

生活も壊れない。

ならば。

彼の中でそれを、

「戦争」と呼んで楽しんでいることまで、

禁止する必要はない。

24.言葉ではなく、現実を見る

「戦争」という単語を使った。

だから危険。

そう判断するのではなく。

何が起きているかを見る。

誰かが強制されているか。

逃げる自由はあるか。

生命は守られているか。

尊厳は守られているか。

本人たちは参加したいと思っているか。

言葉より、行為を見る。

25.他者の同意がある「闘争」

ノクティラで作れるのは、

合意された闘争だ。

参加したい者が参加する。

嫌なら参加しない。

途中で降りてもいい。

危険が一定以上になれば止める。

ルールがある。

でも、

その中では、

本気で勝ちにいく。

自由を守ったまま、闘争する。

26.少佐の情熱を、小さくしない

ここで、

「戦争は駄目だから、チェスでもしてなさい」

という話にはしたくない。

それでは、

本人の熱量を矮小化している。

彼が求めるものが巨大なら。

巨大なものを作ればいい。

数十人。

数百人。

都市規模。

地域規模。

長期間。

何年も準備して、

たった一日の競技へすべてを投入してもいい。

殺さなくても、規模まで小さくする必要はない。

27.巨大な計画が動き出す瞬間

長い準備。

何ヶ月。

何年。

情報を集める。

設備を作る。

人を集める。

作戦を練る。

そして、

開始の日。

すべてが、

同時に動き始める。

その瞬間の昂揚。

これは、

戦争でしか得られないものではない。

巨大な祭典。

大規模競技。

都市計画。

探索。

建築。

何でもいい。

「計画が現実になる快感」は、創造でも得られる。

28.破壊だけが、大規模ではない

巨大なものを壊す。

それは、

確かに派手だ。

けれど。

巨大なものを作ることも、

同じくらい大規模だ。

都市を一つ作る。

施設を作る。

競技体系を作る。

何千人もの役割を調整する。

新しい文化を作る。

戦争に注いでいた規模の情熱を、創造へ持っていくこともできる。

29.「戦場」を作る者になる

少佐は、

戦場を求める人物から。

戦場を設計する人物になるかもしれない。

ただし。

今度の戦場は、

死ぬための場所ではない。

本気になるための場所。

知性を使い切る場所。

技量を試す場所。

勝敗を楽しむ場所。

計画が崩れることまで楽しむ場所。

そして。

終わったあとにも、続きがある場所。

30.戦争が終われば宴会になる

競技が終わる。

勝者がいる。

敗者がいる。

悔しい者もいる。

興奮している者もいる。

でも。

夜になれば、

同じ場所で酒を飲む。

食事をする。

あの作戦は良かった。

あそこは読まれていた。

次は負けない。

また来年。

そんな話をする。

敵であった相手と、次の戦いについて語れる。

31.「また戦える」がある

実際の戦争では。

相手が死ぬ。

自分が死ぬ。

街がなくなる。

国がなくなる。

次がない。

でも、

競技なら。

負けた。

悔しい。

またやろう。

その言葉が使える。

戦いの後にも、相手が存在しているからだ。

32.戦争愛を、終わらせなくていい

少佐は、

何百年後も、

「戦争が好きだ」

と言っているかもしれない。

それでいい。

その心が、

本人の一部なら。

無理に消す必要はない。

変えるのは、

その心が外へ出る方法。

心を消さずに、行為の選択肢を増やす。

33.《戦争》から《殺戮を必要としない本気の闘争》へ

少佐の幸福を、

ノクティラの思考実験として整理するなら。

**《戦争》
→《殺戮を必要としない本気の闘争/競技/創造》**

となる。

戦争への情熱は、

残っている。

勝ちたい。

負けても面白い。

相手と全力でぶつかりたい。

巨大な計画を動かしたい。

全部残す。

34.「他者の苦痛」を必要としない形を探す

もちろん、

ここには難しい部分が残る。

もし本人が、

他者が苦しむことそのものを快楽として求めるなら。

そこは、

競技へ置き換えるだけでは済まない。

ノクティラは、

そこまで本人の願いを叶えるために、

誰かを犠牲にはしない。

だから、

満たせない願いが残る可能性もある。

否定しないことは、すべての願いを実現することではない。

35.満たされない部分があっても、存在していい

これは、

ノクティラにとって重要な考え方になる。

すべての欲望が、

必ず満たされる世界ではない。

誰かを傷つけなければ満たせない願いなら、

その願いは実行できない。

でも。

だからといって、

その願いを持つ本人まで、

追放する必要はない。

心の中にある。

それでも、

別の行為を選ぶ。

欲望と行動を分けることができる。

36.「やりたい」と「やる」は同じではない

戦争がしたい。

そう思う。

でも、

しない。

代わりに、

競技を作る。

巨大な計画を作る。

誰かと本気でぶつかる。

これは、

我慢だけではない。

単なる抑圧でもない。

別の出口を、自分自身で選ぶことだ。

37.ノクティラが少佐に要求するもの

善人になれ。

ではない。

戦争を嫌いになれ。

でもない。

誰かを愛しなさい。

でもない。

要求するのは、

非常に単純だ。

他者の自由を奪わないこと。

それだけ。

その境界の中でなら。

少佐は、

好きなだけ少佐でいていい。

38.「あなたは危険だから出ていけ」としない

危険な思想を持っている。

異常な嗜好がある。

普通ではない。

だから、

存在する場所がない。

そうしてしまえば、

ノクティラの思想は、

穏やかな者だけを受け入れる世界になる。

それでは、

「あなたが、生きてきたことを否定しない」

とは言いにくい。

39.受け入れにくい人物を、どう扱えるか

思想の強さは、

受け入れやすい人物へ向けたときには測りにくい。

優しい人。

傷ついた人。

孤独な人。

そうした者を受け入れることは、

比較的想像しやすい。

では。

理解しにくい者。

怖い者。

危険な願いを持つ者。

その人物に対しても、

「あなたが存在すること」と「あなたが何をしてもいいこと」を分けられるか。

そこに、

ノクティラの思想が試される。

40.少佐は、ノクティラのストレステストになる

だから、

少佐は、

このシリーズの中でも特殊な人物になる。

彼を受け入れられるなら。

ノクティラの「否定しない」は、

単なる優しさではなくなる。

境界を持った思想になる。

あなたの心は、

否定しない。

でも、

他者の心も、

あなたのために踏みにじらせない。

両方を同時に守る。

41.少佐を幸福にするために、善人へ変える必要はない

少佐が、

善人になる。

戦争を嫌いになる。

命の尊さへ感動する。

穏やかな生活へ目覚める。

そうしなければ幸福になれない。

とは考えない。

何百年経っても。

彼は、

競技開始前に、

大声で叫んでいるかもしれない。

「諸君!」

また始まった。

周囲はそう思う。

42.「今年も始まったぞ」

巨大な戦略競技の日。

少佐は、

異様なほど張り切っている。

対戦相手を分析している。

兵站を確認している。

地形を見ている。

情報戦を仕掛けている。

誰かが、

呆れながら笑う。

「今年も始まったぞ。」

それでいい。

彼がそこにいること自体が、もう日常の一部になっている。

43.恐れられるだけの人物から、「またやってる人」へ

これは、

かなり大きな変化だ。

戦争を愛する男。

怖い。

危険。

近づきたくない。

そう見られていた人物が。

何百年後には、

「また少佐が大会を戦争って呼んでる。」

くらいの存在になる。

人格を変えたからではない。

他者を傷つけない形で、同じ情熱を使えるようになったからだ。

44.居場所とは、「完全に理解されること」ではない

周囲の住民が、

少佐の戦争愛を理解できるとは限らない。

「何がそんなに楽しいの?」

と思う者もいる。

怖いと感じる者もいる。

距離を取る者もいる。

それでいい。

受け入れることは、

全員が好きになることではない。

理解できなくても、存在していい。

45.嫌いな者がいてもいい

少佐を嫌う者も、

ノクティラにはいるだろう。

過去を知れば、

許せないと思う者もいる。

関わりたくない者もいる。

その自由も守られる。

少佐が、

「受け入れられた」のだから、

全員が彼を許さなければならない。

そんなことはない。

被害を受けた側や、嫌悪する側にも、距離を取る自由がある。

46.赦しを要求しない

これは、

悪事を行った人物の幸福を考えるうえで、

重要になる。

本人が続きを生きるために、

誰かから赦される必要はない。

逆に。

誰かが続きを生きるために、

少佐を赦す必要もない。

赦しは、

義務ではない。

赦されなくても、生き方を変えることはできる。

47.過去は、戦略ゲームにはならない

少佐が、

今は競技を楽しんでいる。

だからといって、

過去の戦争まで、

「楽しい思い出だった」

と扱うことはできない。

死んだ者がいる。

壊された人生がある。

それは残る。

ノクティラは、

現在の幸福によって、

過去を塗り替えない。

やったことは、やったこと。

48.では、その情熱を次に何へ使うのか

過去は変えられない。

でも。

次に何をするかは、

まだ決まっていない。

戦略。

兵站。

計画。

競争。

昂揚。

混沌。

勝敗。

それらを、

もう一度同じ戦争へ使うのか。

それとも。

誰も死なない「戦場」を、

自分で作るのか。

49.戦争好きのゲームデザイナー

少佐という人物を、

ノクティラで考えたとき。

非常に似合う可能性の一つがある。

ゲームデザイナー。

ただし、

小さなゲームではない。

巨大で。

複雑で。

何十年研究しても、

最適解がないようなゲーム。

誰かが新しい戦術を作れば、

また環境が変わる。

終わらない戦争を望むなら、終わらない競技体系を作ればいい。

50.終わらないが、死なない

毎年、

新しいルール。

新しい地域。

新しい戦術。

新しい参加者。

去年の勝者が、

今年は負ける。

新しい天才が現れる。

古い戦術が復活する。

予想外が続く。

終わらない。

でも、

誰も死なない。

それなら。

少佐が何百年戦っていても、

問題はない。

51.「実に良い戦争だった」

大会が終わる。

勝者も敗者も、

同じ場所に集まる。

食事。

酒。

反省会。

自慢。

悔しさ。

来年の話。

少佐は、

満足そうに言うかもしれない。

「実に良い戦争だった。」

周囲は、

「また言ってるよ。」

と笑う。

その程度でいい。

52.戦争好きのまま、生き続ける

彼は、

「戦争」という言葉を捨てなかった。

戦略への異常な執着も。

競争への熱も。

巨大な計画を愛する心も。

勝敗を楽しむ心も。

全部残っている。

でも。

墓場は増えていない。

誰かの家も壊れていない。

誰かが、

本人の意思に反して戦場へ送られることもない。

その差は、あまりにも大きい。

53.第5篇で考えたいこと

第5篇『HELLSING』で考えたいのは、

「少佐を救えるか」

だけではない。

もっと大きな問いだ。

他者へ害を与え得る心を持つ人物を、その心ごと存在させながら、他者の自由も同時に守れるのか。

人物を否定しない。

しかし、

境界はある。

自由を認める。

しかし、

他者の自由も認める。

この両立について考えたい。

54.「否定しない」は、優しさだけでは成立しない

誰でも受け入れる。

それは、

聞こえのいい言葉だ。

でも。

本当に誰でも受け入れるなら。

危険な人物が来たとき。

誰かを傷つけたい人物が来たとき。

そこで、

何を守るのか決めなければならない。

境界のない寛容は、

弱い者へ我慢を押しつけることにもなる。

だから。

ノクティラの寛容には、境界が必要だ。

55.あなたの心も、あの人の心も

戦争が好き。

その心は、

あなたのものだ。

戦争が嫌い。

その心も、

あの人のものだ。

戦いたい。

戦いたくない。

どちらか一方だけを、

世界の都合で正しいとするのではない。

だから。

戦いたい者同士なら、

本気で戦えばいい。

戦いたくない者は、

巻き込まない。

自由とは、自分の望みを通す力ではなく、互いの意思が並んで存在できることでもある。

おわりに

「戦争が好きだ」と言う男にも、続きを

少佐は、

戦争が好きだ。

それを、

ノクティラは否定しない。

「そんなことを思うな。」

とは言わない。

「本当は寂しかったんでしょう。」

とも言わない。

「本当は優しい人なんでしょう。」

とも言わない。

戦争が好き。

分かった。

その心は、

あなたのものだ。

でも。

誰かを殺していい理由にはならない。

誰かの町を壊していい理由にも。

戦いたくない者を巻き込んでいい理由にもならない。

だから、

戦争はさせない。

その代わり。

戦争の中で、

何が好きなのかを考える。

戦略。

兵站。

計画。

競争。

予測。

混沌。

勝利。

敗北。

敵の意志。

自分の意志。

巨大な計画が動き始める瞬間。

もし、

そこに快楽があるのなら。

それらを、

誰も殺さずに満たせる場所を作る。

本気で競う。

本気で勝ちにいく。

負ければ悔しがる。

相手の作戦に驚く。

何年も準備する。

巨大な「戦場」を作る。

でも。

終われば、

全員が帰る。

そして、

次の年にまた会う。

少佐は、

何百年経っても、

言っているかもしれない。

「私は戦争が好きだ!」

周囲は、

もう驚かない。

「知ってる。」

「また始まった。」

「今年はどっちの陣営?」

そんな会話になる。

人格を消していない。

思想を矯正していない。

それでも、

世界は壊れていない。

だから、

少佐がノクティラで示す幸福の形は、

こうなる。

**《戦争》
→《殺戮を必要としない本気の闘争/競技/創造》**

戦争への異常な情熱を、

捨てなくていい。

ただ。

その情熱を満たすために、

誰かの人生を燃料にしなくていい方法を増やす。

そして、

もし満たせない部分が残ったとしても。

その心を持つ本人まで、

存在してはいけないことにはしない。

**「あなたの心は否定しない。
でも、あなたのために他の誰かの心を踏みにじっていい理由にはならない。」**

この二つは、

両立できる。

むしろ。

両方を守ろうとすることこそ、

ノクティラの「否定しない」という思想なのだと思う。

だから、

戦争が好きだと言う男にも。

まだ、

続きを作ることができる。

善人になった続きを、

ではない。

少佐のまま、誰も殺さずに本気で「戦える」続きを。

それが、

第5篇で考えてみたい幸福である。

あなたが、生きてきたことを否定しない世界。

永夜世界ノクティラ。

本記事について

本記事は『HELLSING』に登場する少佐の人物像・価値観・作中で描かれたモチーフを題材として、Lewd Beast Tribe/永夜世界ノクティラの文化・倫理・思想を考察する非公式の比較研究・思考実験です。

本記事で記述している「ノクティラであればどうなるか」という内容は、すべてLewd Beast Tribe側から行った独自の仮定であり、『HELLSING』の公式設定・続編・公式解釈を示すものではありません。

『HELLSING』および同作に登場するキャラクター・設定等の権利は、それぞれの原作者・出版社・制作会社その他の権利者に帰属します。

Lewd Beast Tribeおよび本サイトは、『HELLSING』ならびに各権利者とは関係ありません。