第2篇 『とある魔術の禁書目録』
「強さ」が必要ない日にも、その人の価値は残るのか
――もし、彼らがの思想と出会ったなら
はじめに
強いということは、幸福なのだろうか。
誰にも負けない力がある。
大切な者を護れる。
危険が迫れば、それを退けられる。
自分の手が届く範囲で起きる悲劇を、力によって止めることができる。
それは確かに、一つの強さである。
けれど。
もし、その力を使わなくてもいい日が来たら。
戦う相手がいなくなったら。
護らなければならない危機がなくなったら。
誰も傷つかず。
誰も死なず。
ただ食事をして、誰かと話して、買い物をして、一日が終わったなら。
その人の強さには、まだ意味があるのだろうか。
そして何より。
「強い自分」が必要とされない日にも、その人自身には価値があるのだろうか。
第2篇『とある魔術の禁書目録』では、この問いから始めてみたい。
これは、『とある魔術の禁書目録』の物語の続きを考えるものではない。
作中の人物が実際にへやって来たという、の公式設定でもない。
『とある魔術の禁書目録』に描かれた人物像を題材として、
「力を持つ者が、その力を使わなくても生きられる世界では、何を幸福とするのか」
を考える思考実験である。
1.は、「強さ」を取り上げる世界ではない
には、
「あなたが、生きてきたことを否定しない。」
という考え方がある。
だから、強い者へ、
「もう戦わなくていいのだから、その力も必要ない」
とは言わない。
戦うことが好きなら、戦える場所を探せばいい。
競うことが好きなら、競えばいい。
鍛えることが好きなら、どこまでも鍛えればいい。
大切な者を護りたいという心も、捨てる必要はない。
が問いかけるのは、
「強さを捨てられるか」
ではない。
「強さを持ったまま、それを使わなくてもいい時間を生きられるか」
ということだ。
2.力が必要だった人生
強さは、何もないところから突然意味を持つわけではない。
戦わなければならないから、強さが必要になる。
失いたくないものがあるから、護る力が必要になる。
自分を傷つけるものがあるから、それを退ける力が必要になる。
誰にも踏みにじられたくないから、誰よりも強くなろうとすることもある。
そして、一度「強さによって生き延びる」という方法を覚えた者にとって、
力は単なる能力ではなくなる。
それは、
自分を守る方法であり、
誰かを守る方法であり、
自分がここにいていい理由にさえなる。
だから、
「もう安全だから安心していい」
と言われただけで、すぐに力から自由になれるとは限らない。
3.「護れる自分」という価値
誰かを護ることは、尊い。
自分の力によって誰かが生きられる。
危険から遠ざけられる。
大切な存在を失わずに済む。
そこには確かな価値がある。
けれど。
もし、
「誰かを護れる自分」だけが、自分を肯定できる理由になってしまったら。
危機がなくなったとき。
敵がいなくなったとき。
誰からも助けを求められなかったとき。
自分は何者になるのだろう。
これは、
「護ることは間違っている」
という問いではない。
むしろ、そのさらに先にある問いだ。
護らなくてもいい日にも、自分は自分として生きていていいのか。
4.強さが「役割」になってしまうとき
力を持つ者は、その力によって役割を与えられることがある。
戦う者。
護る者。
危機を解決する者。
誰にもできないことをする者。
その役割は、ときに本人の誇りにもなる。
けれど役割と存在が重なりすぎると、
「役に立たなければ、自分には価値がない」
という場所へ近づいてしまう。
強いから必要とされる。
護れるから必要とされる。
戦えるから必要とされる。
では、
戦わなかった今日は?
誰も護らなかった今日は?
何の役にも立たなかった今日は?
その一日にも、
その人がそこにいたこと自体の価値は残っているのだろうか。
5.の答えは、「残っている」
では、
能力によって存在価値が決まるわけではない。
何かを成し遂げたから、生きていていいわけでもない。
誰かを救ったから、食事をしていいわけでもない。
働いたから、眠っていいわけでもない。
役に立ったから、誰かと笑っていいわけでもない。
何もしなかった日でもいい。
誰も救わなかった日でもいい。
何かを生み出さなかった日でもいい。
生きていることと、役に立つことは別の話だからだ。
6.何も起きない一日
朝が来る。
食事をする。
誰かと話す。
買い物へ行く。
くだらないことで言い争う。
帰ってくる。
また食事をする。
眠る。
それだけ。
事件は起きない。
敵も現れない。
世界も危機に陥らない。
誰も血を流さない。
誰も死なない。
物語として見れば、
「何も起きなかった一日」
なのかもしれない。
けれど人生として見れば、
その一日の中にはたくさんのものがある。
7.「何もない」と「平穏」は違う
何も起きなかったからといって、
何も存在しなかったわけではない。
美味しいものを食べたかもしれない。
誰かが笑ったかもしれない。
くだらない話をしたかもしれない。
気になるものを見つけたかもしれない。
面倒なこともあったかもしれない。
少し機嫌が悪かったかもしれない。
それでも一日は終わる。
そして明日になる。
そこにあるのは「空白」ではない。
事件を必要としない生活である。
8.平穏を信じるには、時間がかかる
戦いや危機の中で長く生きた者にとって、
平穏はすぐには信用できないかもしれない。
今日が静かだった。
でも明日は何か起きるかもしれない。
今は安全だ。
でも、それは次の戦いまでの短い休息かもしれない。
だから、
「もう安心していい」
という一言だけでは足りない。
一日。
一週間。
一ヶ月。
一年。
何も起きない日を積み重ねる。
もちろん、ときには問題も起こるだろう。
それでも解決したら、また生活へ戻る。
そうした時間を重ねることで、
少しずつ、
「事件の合間に日常がある」のではなく、「日常の中に、ときどき事件が起こる」
という感覚へ変わっていく。
9.強さは、消えなくてもいい
平穏を知るために、
弱くなる必要はない。
力を失う必要もない。
必要になれば使えばいい。
大切な者を護りたいなら、護ればいい。
危険へ立ち向かいたいなら、立ち向かえばいい。
けれど、
力を使わない日があってもいい。
強い者が戦わないことは、弱さではない。
使えないのではない。
使わなくてもいい。
それは、
力を持つ者が初めて手にできる、別の自由でもある。
10.「強さ」が人生の中へ戻っていく
戦いの中では、
人生そのものが力を中心に回ることがある。
どうすれば勝てるのか。
どうすれば生き残れるのか。
どうすれば護れるのか。
どうすればもっと強くなれるのか。
けれど平穏な生活では、
強さは人生そのものではなくなる。
食事がある。
好きなものがある。
面倒な人間関係がある。
行きたい場所がある。
何もしたくない日もある。
そして、その中の一つとして「強さ」もある。
人生が強さのために存在するのではなく、強さのほうが人生の中へ収まっていく。
11.過去は、それでも消えない
ここで忘れてはいけないことがある。
平穏な生活を得たからといって、
過去が消えるわけではない。
誰かを傷つけたこと。
間違えたこと。
取り返せないこと。
後悔していること。
それらが、
「今は幸せだから全部良かった」
という話になるわけではない。
は、
過去を幸福のための伏線へ変える世界ではない。
やったことは、やったこと。
それは残る。
12.それでも、未来まで罰する必要はあるのか
過去が消えないなら、
その人は永遠に苦しみ続けなければならないのだろうか。
幸福にならないこと。
笑わないこと。
愛されないこと。
安心しないこと。
自分自身を罰し続けること。
それが責任なのだろうか。
は、そこで問いを分ける。
「過去への責任を持つこと」と「自分の未来を壊し続けること」は、本当に同じなのか。
忘れなくていい。
後悔していていい。
向き合うべきものには向き合えばいい。
けれど、
その人が未来を持つことまで否定する必要はない。
13.「本当は優しかった」では救わない
過去に誰かを傷つけた人物を救おうとすると、
ときどき、
「本当は優しい人だった」
という説明をしたくなる。
けれど、それでは本人の一部を切り捨ててしまう。
優しかった部分だけが「本当のあなた」で、
残酷だった部分は「偽物のあなた」だった。
そう整理すれば簡単かもしれない。
しかしでは、そうしない。
間違えた自分も。
傷つけた自分も。
怒っていた自分も。
大切な者を護ろうとした自分も。
全部、
「自分が生きてきた中に存在した自分」
として残る。
14.「否定しない」は、赦すことではない
これは第1篇『BLEACH』から続く、の重要な境界でもある。
誰かの存在を否定しないことと、
その人物の行為をすべて許すことは違う。
傷つけられた側には、
赦さない自由がある。
距離を置く自由もある。
忘れない自由もある。
本人が後悔したからといって、
相手が赦す義務はない。
本人の心を尊重するなら、傷つけられた側の心も同じだけ尊重しなければならない。
だからは、
赦しを強制しない。
15.赦されることだけを未来の条件にしない
では、赦されなければ、
その人物は永遠に立ち止まらなければならないのか。
それも違う。
相手へ赦しを要求せず。
過去を忘れず。
自分がしたことを、自分の都合で美化せず。
それでも、
自分自身の続きを生きる。
赦されることと、生き続けることは同じではない。
これは、過去に大きなものを背負う人物を考えるとき、
が大切にしたい考え方の一つである。
16.「護ること」と「愛すること」は同じではない
誰かを大切に思えば、
その人を護りたいと思うことがある。
けれど、
護ることだけが愛情ではない。
一緒に食事をする。
話を聞く。
帰りを待つ。
買い物につき合う。
くだらないことで言い争う。
同じ景色を見る。
何も起きない時間を一緒に過ごす。
そうしたことも全部、
誰かを大切にする方法である。
命を懸けなくても、愛情は存在できる。
17.大切な者が「護る対象」から「一緒に生きる人」へ変わる
危険の多い世界では、
大切な者は同時に「失いたくない者」になる。
だから護る。
強くなる。
敵を排除する。
それは自然なことだ。
けれど、安全な時間が長く続けば、
その関係にも別の側面が増える。
護る対象ではなく、
一緒に食事をする人。
一緒に出かける人。
帰ってきてほしい人。
明日も会いたい人。
「失いたくない存在」から、「一緒に生きたい存在」へ。
大切であることは変わらない。
関係の意味が増える。
18.における「最強」
にも、強い者はいる。
圧倒的な力を持つ者もいる。
けれど、
強い者が世界を支配しなければならないわけではない。
強い者が常に誰かを護らなければならないわけでもない。
強さは、
存在価値ではなく、
その人物が持つものの一つになる。
だから、
「最強」であってもいい。
ただし、
「最強でなければ自分には価値がない」と思わなくてもいい。
19.そして、一方通行へ
この第2篇で最初に考える人物は、
一方通行(アクセラレータ)である。
彼について考えるとき、
が最初に教えるべきものは「優しさ」ではない。
誰かを大切にする心なら、
彼はすでに持っている。
だから必要なのは、
新しい心を与えることではない。
すでに持っている心を、安心して使える生活を作ること。
誰かを大切にするたびに、
血を流さなくてもいい。
誰かを護るたびに、
命を懸けなくてもいい。
そもそも今日は、
誰も護らなくてもいい。
20.《強さ》の、その先へ
第1篇『BLEACH』では、
「死の形」が「幸福の形」へ広がる可能性を考えた。
第2篇では、
少し違う問いを考えてみたい。
強さは、何のためにあるのか。
勝つためか。
生き残るためか。
護るためか。
もちろん、それもある。
けれど、
強い者がその力を使わずに一日を終え、
「今日は何もなかった」
と言えることもまた、
一つの幸福なのではないか。
戦えること。
護れること。
そして、
戦わなくてもいいこと。
そのすべてを選べるようになったとき、
強さはようやく、
その人物を縛る役割ではなく、
その人物が自由に使える力になる。
おわりに
強さが必要ない日にも、その人はそこにいる
強いことは、
その人の一部である。
過去も、
その人の一部である。
間違えたことも。
護りたいと思ったことも。
戦ったことも。
全部消す必要はない。
けれど、
それだけで人生のすべてを決めなくてもいい。
世界を救わなかった日。
誰とも戦わなかった日。
何の役にも立たなかった日。
それでも、
食事をして。
誰かと話して。
少し笑って。
眠る。
そして明日になる。
強さが必要ない日にも、その人の価値は残っている。
それを何度も確かめられる世界なら。
強い者は、
弱くならなくても、
戦いから自由になれるのかもしれない。
過去を忘れなくても、
幸福になれるのかもしれない。
誰かを護れる自分でありながら、
護らなくてもいい日を愛せるようになるのかもしれない。
そして、その最初の人物として。
次の記事では、
最強という名を背負った一人の少年について考えてみたい。
一方通行。
彼がもし、
「何も起きない一日」を何度も生きることができたなら。
そのとき彼にとって、
「最強であること」は、どんな意味へ変わっていくのだろう。
あなたが、生きてきたことを否定しない世界。
永夜世界ノクティラ。
本記事について
本記事は『とある魔術の禁書目録』に登場する人物の人格・価値観・作中で描かれたモチーフを題材として、/の文化・倫理・思想を考察する非公式の比較研究・思考実験です。
本記事で記述している「であればどうなるか」という内容は、すべて側から行った独自の仮定であり、『とある魔術の禁書目録』の公式設定・続編・公式解釈を示すものではありません。
『とある魔術の禁書目録』および同作に登場するキャラクター・設定等の権利は、それぞれの原作者・出版社・制作会社その他の権利者に帰属します。
および本サイトは、『とある魔術の禁書目録』ならびに各権利者とは関係ありません。
LEWD BEAST TRIBE