『もののけ姫』アシタカ
境界が争いにならない世界でも、彼はきっと歩き続ける
――もし、彼がの思想と出会ったなら
はじめに
アシタカという人物を考えるとき、まず印象に残るのは、彼がどちらか一方の側だけへ完全に立とうとしないことだ。
森を見る。
人を見る。
怒りを見る。
痛みを見る。
そして、そのどちらかを簡単に悪として切り捨てようとはしない。
だからといって、何も決めない人物でもない。
ただ中立でいたいわけでもない。
彼は、両方を見る。
そのうえで、自分がどうするかを選ぶ。
この姿勢こそが、アシタカの大きな特徴だと思う。
『もののけ姫』では、その「両方を見る」という立場が、常に争いのただ中に置かれている。
森と人。
神と人間。
自然と開拓。
異なる価値観。
互いに譲れない生存。
アシタカは、その境界を歩く。
では。
もし、その境界がもう戦場でなくなったらどうなるだろう。
森と人のどちらかが滅びなくてもいい。
一方を守るために、もう一方を殺さなくてもいい。
違う者同士が、違ったまま存在できる。
そんなへアシタカが来たなら。
彼は、何をするのだろう。
今回考えたいのは、
「争いを止める必要がなくなったあとも、アシタカは境界を歩くのか。」
という問いだ。
そして、おそらく答えは。
歩く。
なのだと思う。
ただし。
今度は、争いを止めるためではない。
1.アシタカは「中立な人」ではない
アシタカを単純に、
「どちらの味方もしない中立的な人物」
と考えると、少し違う。
彼は、何も選ばないわけではない。
苦しんでいる者を見れば動く。
誰かが傷つけられそうなら止める。
間違っていると思えば、相手が誰であっても向き合う。
だから彼の立場は、
「どちらにも味方しない」
ではなく、
「どちらか一方しか見ないことを拒む」
に近いのだと思う。
これは大きな違いだ。
中立という言葉は、ときに「関わらない」という意味にもなる。
しかしアシタカは、関わる。
森にも。
人にも。
サンにも。
エボシ御前にも。
自分自身の意思で関わっていく。
彼は距離を取る人ではない。
むしろ、境界を越えていく人である。
2.彼が見ているのは「陣営」ではなく「そこにいる者」
争いの中にいると、人は相手を集団として見やすくなる。
人間。
山犬。
猪神。
たたら場の者。
森の者。
敵。
味方。
しかしアシタカは、その分類の奥にいる個人を見る。
その人が何を恐れているか。
何を守ろうとしているか。
何を失ったか。
なぜ怒っているか。
だから彼は、簡単に、
「こちらが正義で、あちらが悪だ」
とは考えない。
これは、の思想と非常に相性がいい。
もまた、人を所属や過去だけで固定しない。
何者だったか。
何をしてきたか。
どの集団に属していたか。
それらは消さない。
しかし、
「だからあなたはこういう人間だ」
と、その人の未来まで決めない。
アシタカも、おそらく同じように人を見る。
分類より先に、そこにいる一人を見る。
3.で彼をする必要はない
保存版で考えたとき、アシタカにはひとつ大きな特徴があった。
彼は、無理にする必要がない。
にはがいる。
人外がいる。
妖怪や神のような存在もいる。
けれど。
だからといって、
「こちらの世界へ来たなら、あなたも同じ姿になろう」
とはならない。
アシタカが人の姿で生きたいなら、そのままでいい。
むしろ彼には、
「今の私も、私だから。」
という選択がよく似合う。
これは変化を拒むという意味ではない。
新しいものを嫌うという意味でもない。
ただ、
「違う場所へ来たから、自分まで別の存在にならなければならないわけではない」
ということだ。
は、受け入れるために同化を要求しない。
人なら、人のまま。
なら、のまま。
神なら、神のまま。
本人が変わりたければ変わる。
変わりたくなければ変わらない。
その自由がある。
だからアシタカは、人間としてを歩く。
その姿自体が、ひとつの象徴になるかもしれない。
4.「同じになること」と「共に生きること」は違う
アシタカを人の姿のまま置くことには、もう一つ意味がある。
における共存は、
違いを消すことではない。
人とが共に生きるからといって、人がにならなければならないわけではない。
森と街が共存するからといって、森を街にする必要もない。
街を森へ戻す必要もない。
違いは残る。
そのまま一緒に存在できる。
アシタカは、そのことを体現しやすい人物だ。
彼自身が、人でありながら人外の者たちと関わる。
そのどちらかになろうとはしない。
自分の立場を失わずに、相手の立場を見る。
だからこそ、
「違うまま共に生きられる」
というの共存を、とても自然に歩ける。
5.境界は、なくさなくてもいい
境界というものは、悪ではない。
森と街の境界。
人との境界。
文化と文化の境界。
個人と個人の境界。
違いがあるから、境界が生まれる。
問題になるのは、その境界が、
「こちら側とあちら側は殺し合うしかない」
という線になることだ。
では、境界を消す必要はない。
越えてもいい。
越えなくてもいい。
行き来してもいい。
距離を取ってもいい。
アシタカにとっては、この環境がとても合う。
なぜなら彼は、
境界を壊す人ではなく、
境界を越えて両方を見る人
だからだ。
境界そのものが争いにならなければ、彼はもっと自由にそこを歩ける。
6.争いがないなら、なぜ歩くのか
ここが、アシタカについて一番面白いところかもしれない。
『もののけ姫』では、彼が動く理由の多くが危機と結びついている。
誰かを止める。
誰かを助ける。
争いの中へ入る。
では。
もう争いがないなら。
アシタカには、歩く理由がなくなるのだろうか。
おそらく、なくならない。
なぜなら。
彼は、ただ問題を解決するためだけに世界を見ているわけではないからだ。
知らないものを見る。
知らない人と話す。
違う文化へ触れる。
相手がどう生きているのかを見る。
そういう好奇心や理解への姿勢も、彼の中にはある。
だからでは、
「争いを止めるために歩く」
から、
「世界を知るために歩く」
へ。
目的が変わる。
歩くこと自体は残る。
7.境界を歩く者から、世界をつなぐ者へ
アシタカが長くを歩くなら、彼は自然とさまざまな場所を知ることになる。
中央都市。
東方文化圏・。
砂漠世界。
森。
集落。
街。
人の暮らし。
たちの文化。
神や妖怪、人外存在の価値観。
そのどれか一つに属するのではなく、いくつもの世界を見る。
すると、彼にはできることが増える。
「向こうではこうしている。」
「こちらには、こういう考え方もある。」
そんなふうに、違う文化同士をつなぐ。
ただし。
仲介者という役割を義務にしなくてもいい。
頼まれたときだけ橋をかける。
必要がなければ、ただ旅をする。
その程度でもいい。
彼が世界を歩いた結果として、自然に人と人の間へ道ができる。
それがアシタカらしい。
8.「曇りなき眼」は、争いがなくても意味を失わない
アシタカを象徴する考え方として、
物事を曇りなく見ようとする姿勢がある。
これは、争いがあるから必要な能力ではない。
平和な場所でも。
関係が複雑なとき。
価値観がぶつかるとき。
誰かの噂を聞いたとき。
一方の話だけでは分からないことはたくさんある。
だからアシタカは、でもきっと、
「本当にそうなのか。」
と自分の目で確かめる。
誰かの評価だけで人を決めない。
過去だけで人を決めない。
種族だけで人を決めない。
それは、の
「あなたが、生きてきたことを否定しない」
という思想にも近い。
その人を理解する前に、結論を置かない。
アシタカの眼差しは、戦場がなくても生きる。
9.ただし、「全部理解しなければならない」わけではない
ここでは少し、アシタカ自身を守ることも考えたい。
両方を見る人。
話を聞く人。
間へ入る人。
そういう人は、ときに疲れる。
なぜなら。
両方の苦しみが見えてしまうからだ。
森の苦しみも。
人の苦しみも。
どちらも分かってしまう。
すると、
「自分が何とかしなければ」
と考えやすくなる。
でも、では。
全部をアシタカが解決する必要はない。
彼が両方を見られるからといって、両方を背負う義務はない。
ここは重要だ。
10.理解できることと、責任を負うことは違う
誰かの気持ちが分かる。
だから、その人を救わなければならない。
ではない。
問題が見える。
だから、自分が解決しなければならない。
でもない。
アシタカは、人の痛みが見える人物だからこそ、ではこの線引きを学ぶ必要があるかもしれない。
理解はできる。
でも、人生を代わりに背負わない。
助けを求められたら、できる範囲で助ける。
必要なら一緒に考える。
けれど。
本人が決めるべきことは、本人へ返す。
それが、相手の自由を守ることにもなる。
11.「止めなければ」から降りてもいい
争いの中では、アシタカが止めなければならない場面がある。
でもでは。
最初から争いがない。
なら、
「自分が間に入らなければ何かが壊れる」
という生き方から降りてもいい。
問題が起きても、毎回彼が呼ばれる必要はない。
別の者が解決してもいい。
当事者同士で話してもいい。
制度が支えてもいい。
彼はただの旅人でいてもいい。
それは役割を失うことではない。
役割に縛られなくなることだ。
12.誰かを救っていない日にも、アシタカはアシタカ
これは、第10篇全体にもつながる。
誰かを守っているときだけ価値がある。
争いを止めているときだけ必要とされる。
そんな人生でなくてもいい。
今日は何も起こらない。
誰も助けない。
ただ森を歩く。
街で食事をする。
知らない文化を見る。
誰かと話す。
それでもいい。
誰かを救っていない日にも、アシタカはアシタカだ。
これは、小さいようで大きな幸福だと思う。
13.での旅
アシタカには、長い旅がよく似合う。
の街を歩く。
の古い道を見る。
の砂漠へ行く。
自分が知らなかった文化と出会う。
森で暮らす者と話す。
都市で働く者と話す。
人間とも。
とも。
妖怪とも。
神とも。
それぞれの話を聞く。
でも。
答えを出す必要はない。
「そういう生き方もあるのか。」
それだけでいい。
この旅は、使命ではない。
誰かから頼まれたわけでもない。
自分が見たいから歩く。
それで十分だ。
14.サンとの関係も、「守る」だけでなくていい
アシタカとサンについても、では少し違う関係が考えられる。
彼がサンを理解しようとする。
それは残る。
ただし、
「自分が彼女を人間社会へ連れていかなければ」
でもない。
「自分が彼女を救わなければ」
でもない。
サンはサンの人生を選ぶ。
アシタカはそれを尊重する。
一緒にいたいなら、一緒にいる。
離れて暮らしたいなら、それでもいい。
会いたいときに会う。
一緒に旅をすることもある。
別々の場所へ行くこともある。
愛することと、相手の生き方を決めることは違う。
これはの大きなテーマでもある。
アシタカには、その距離感がよく似合う。
15.「違う場所で生きる」ことと「別れる」ことは同じではない
人は、ときに
一緒にいるなら同じ場所に住む。
同じ生活をする。
同じ文化へ属する。
そう考えやすい。
でも。
アシタカとサンは、そうでなくてもいい。
アシタカは街へ行く。
サンは森にいる。
それでも関係は続く。
必要なら会いに行く。
今日は森。
次は街。
一緒に旅へ出ることもある。
相手を愛していても、生活の形まで一つにする必要はない。
関係には、二人自身が決める形があっていい。
16.アシタカ自身も「帰れる場所」を持っていい
旅をする人には、帰る場所が必要ない。
とは限らない。
むしろ。
どこへでも行ける人ほど、
「戻ってもいい場所」
があることは大きい。
は、アシタカを縛らない。
行きたいなら行く。
何十年旅してもいい。
外の世界へ行ってもいい。
でも。
疲れたら戻れる。
誰かが、
「おかえり。」
と言う。
それだけ。
これは、自由を狭くする帰る場所ではない。
帰らなくても怒られないから、帰れる場所。
ルパン篇でも扱ったような「帰港地」としてのは、アシタカにもよく合う。
17.「全部を見る」ことをやめる自由もある
アシタカは両方を見る人だ。
でも。
だからといって。
一生、すべてを見る必要はない。
今日は森だけを見る。
今日は人の街だけを見る。
一つの場所で何年も暮らす。
そんな選択もできる。
「境界を歩く者」という人物像を、本人への義務にしてはいけない。
これはシリーズ全体で大切にしてきたことだ。
能力があるから、その能力を使い続けなければならない。
そうではない。
アシタカがいつか、
「もう少しここにいよう。」
と思うなら。
そこにいればいい。
18.彼の強さも、戦いだけに使わなくていい
アシタカには戦える力がある。
けれど。
では、その強さを毎日使う必要はない。
武術として磨いてもいい。
誰かと競ってもいい。
狩りや探索に使ってもいい。
危険な土地を旅するために使ってもいい。
あるいは。
使わない日があってもいい。
強いことと、戦わなければならないことは違う。
これも、シリーズで何度も扱ってきた考え方だ。
彼の強さは残る。
ただ、それを必要としない日常も残る。
19.「人であること」に誇りを持ってもいい
サンが山犬として生きる自由があるなら。
アシタカには、人として生きる自由がある。
ここも対になる。
人間だから優れている。
ではない。
人間だから劣っている。
でもない。
ただ、
「私は人だ。」
それだけ。
その姿で、森へ入る。
と話す。
神とも話す。
それでいい。
では、種族が価値の上下を決めない。
だからこそ、人であることも否定されない。
20.変わらないこともまた、自己決定
世界が変わった。
新しい身体を選べる。
新しい生き方もある。
だから。
変わったほうがいい。
ではない。
アシタカが人のままでいることは、
変化できなかった結果ではない。
「変わらない」と選んだ結果でもある。
これは、とても大切だ。
自己決定とは、何かを変える自由だけではない。
変えない自由も含む。
アシタカには、その静かな選択がよく似合う。
21.境界に立つことを「役目」にしない
アシタカは、自然と橋渡しをする人物になるかもしれない。
でも。
それを職務にしなくてもいい。
「あなたは両方が分かるから、ずっと仲裁してね。」
では、また別の役割を背負わせてしまう。
必要なときだけ。
やりたいときだけ。
間に入る。
無理な日は断る。
「今日は他の者に頼んでくれ。」
それでいい。
得意なことを、義務にしない。
これはの幸福論としてかなり重要だと思う。
22.彼は「正しい答え」を持たなくてもいい
両方を見られる人ほど、
「では、あなたならどうする?」
と答えを求められる。
でも。
アシタカがすべての問題の正解を持つ必要はない。
分からないことは、
「分からない。」
と言っていい。
考えても答えが出ないこともある。
人と森のすべてを理解することなどできない。
それでもいい。
大切なのは、
正解を持っていることではなく、
相手を見る前に正解を決めてしまわないこと。
それだけでも、彼の眼差しには十分な価値がある。
23.「両方を見る」は、両方へ従うことではない
相手の事情を理解する。
それは、相手の行動をすべて認めるという意味ではない。
森の事情が分かっても。
人の事情が分かっても。
他者の自由や生存を奪う行為に対して、
「仕方ない」
で終わる必要はない。
アシタカは、理解しながら止めることができる。
ここにも、の
「存在を否定しないことと、行動を無条件に許すことは違う」
という考え方が重なる。
相手の心は見る。
でも。
境界は置く。
24.優しさと境界は両立する
誰かの事情を理解したら、断りにくくなる。
それでも。
断っていい。
相手が苦しんでいても、自分まで壊れる必要はない。
アシタカは優しい。
だからこそ。
では、
「優しい人ほど境界を持っていい」
と伝えられるだろう。
手を伸ばす。
でも。
全部を背負わない。
助ける。
でも。
本人の選択を奪わない。
この距離感は、彼の強さを長く使うためにも必要になる。
25.争いを止める者から、争いがなくても生きる者へ
アシタカの幸福への変換を考えるなら。
単純に、
「平和になりました」
では足りない。
重要なのは、その平和の中で本人がどう生きるかだ。
これまでの彼を象徴するものを、
《境界を歩く者》
とするなら。
での彼は、
《境界が争いにならない世界でも、両方を見る者》
になる。
さらに言えば、
**《争いを止めるために歩く者》
→《自分が世界を見たいから歩く者》**
という変化もある。
これはかなり大きい。
使命から。
好奇心へ。
義務から。
自己選択へ。
26.誰かのために歩いてきた人が、自分のためにも歩く
アシタカは、他者を見る力が強い。
だからこそ最後には、
自分を見ることも必要だと思う。
自分は何を見たいのか。
どこへ行きたいのか。
誰と過ごしたいのか。
今日は歩きたいのか。
休みたいのか。
その問いを、自分へ向ける。
誰かが困っているから行く。
ではなく。
「行ってみたいから行く。」
それも立派な理由だ。
そして。
それができるようになったとき。
アシタカは、救う者でも仲裁する者でもない。
ただの一人の旅人として世界を歩ける。
おわりに
世界を救うためではなく、世界を見たいから歩く
アシタカを。
で。
大きく。
変える必要はない。
彼にはすでに。
違う者の声を聞く力がある。
一方だけで。
世界を。
決めない姿勢がある。
森も見る。
人も見る。
怒りも見る。
痛みも見る。
だから。
で。
彼が得るものは。
新しい人格ではない。
むしろ。
その性質を、戦争のために使わなくてもいい時間
なのだと思う。
もう。
森と人の間へ。
命懸けで。
入らなくていい。
片方を。
止めなければ。
もう片方が。
死ぬ。
そんな。
世界ではない。
だから。
歩く理由を。
変えられる。
「止めなければ。」
から。
「見てみたい。」
へ。
森へ。
行く。
知らない。
の集落へ。
行く。
の。
街を見る。
を。
歩く。
の。
砂漠へ。
向かう。
誰かと。
話す。
その人が。
何を。
好きなのか。
どうやって。
暮らしているのか。
見る。
そして。
「そういう生き方もあるのか。」
と。
知る。
それでいい。
全部を。
理解しなくていい。
全部を。
救わなくていい。
すべての。
争いに。
答えを出さなくていい。
両方が。
見えるからといって。
両方を。
背負わなくていい。
誰かに。
「どうすればいい。」
と。
聞かれたら。
一緒に。
考える。
でも。
本人が。
決めるべきことは。
本人へ。
返す。
そして。
終わったら。
また。
歩く。
人であることも。
変えなくていい。
にならなくていい。
人外たちの中へ。
人の姿のまま。
入っていく。
誰かが。
不思議そうに。
「その姿のままでいいのか。」
と。
聞くかもしれない。
アシタカなら。
静かに。
こう答えても。
似合う。
「今の私も、私だから。」
それは。
他の姿を。
否定する言葉ではない。
自分の姿を。
肯定するだけの言葉。
サンが。
「私は山犬だ。」
と言う。
それを。
尊重するように。
アシタカも。
「私は人だ。」
と言っていい。
違う。
二人。
違う。
生き方。
それでも。
一緒に。
いられる。
離れて。
暮らしても。
関係は。
続けられる。
それが。
の。
共存。
なのだと思う。
そして。
いつか。
誰も。
助けなくていい日。
何も。
起きない日。
アシタカは。
ただ。
知らない道を。
歩く。
使命ではない。
役目でもない。
ただ。
この先に。
何があるのか。
見てみたい。
その。
小さな。
好奇心だけで。
歩く。
そんな。
一日が。
あっていい。
**《境界を歩く者》
→《境界が争いにならない世界でも、両方を見る者》**
そして。
もう一つ。
**《争いを止めるために歩く》
→《自分が世界を見たいから歩く》**
アシタカにとっての。
救いとは。
境界が。
なくなることではない。
境界を。
歩いても。
誰も。
死なないこと。
そして。
誰かを。
救うためではなく。
自分自身が。
世界を。
見たいから。
その境界を。
越えられること。
なのかもしれない。
救いとは、役目を失わないことではない。
役目がなくても、自分自身の理由で歩き続けられることなのかもしれない。
彼なら。
きっと。
その世界でも。
歩く。
ただ。
今度は。
世界を。
救うためではなく。
世界を。
見るために。
あなたが、生きてきたことを否定しない世界。
永夜世界ノクティラ。
本記事について
本記事は『もののけ姫』に登場するアシタカの人物像・価値観、および人と自然、境界、共存といった作中のモチーフを題材として、/の文化・倫理・思想を考察する非公式の比較研究・思考実験です。
本記事で記述している「アシタカがにおいて人間の姿のまま生活する」「各地を旅しながら人・・神・その他の存在の文化を見る」「争いの仲裁を恒常的な役割とせず、自分自身の好奇心によって世界を歩く」といった内容は、すべて側から行った独自の仮定であり、『もののけ姫』の公式設定・続編・公式解釈を示すものではありません。
また、本記事はアシタカを「すべての立場を理解できる完全な仲裁者」として扱うものではありません。相手を理解しようとする姿勢と、すべてを背負う責任は別のものとして考え、本人が助けること・距離を取ること・旅を続けることなどを自分で選べる可能性について考察しています。
『もののけ姫』および同作に登場するキャラクター・設定等の権利は、それぞれの原作者・制作会社その他の権利者に帰属します。
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